2005年、阪神・淡路大震災から10年の節目の年に『帰宅支援マップ』は企画されました。
当時、この商品企画のプロジェクトリーダーだった川村哲也(現昭文社取締役)によると、元々は営業担当が取引先に商談に出向いた際に、ご担当の方から「首都直下地震の対策に、御社の地図を持ち歩いているんですよ」と2冊の地図を見せてもらったことがヒントとなりました。当時、国や自治体のほうでも首都直下地震への危機感から、震災時の帰宅支援対象道路や緊急輸送路が相次いで公表され、一般の方の防災意識も徐々に高まりを見せていました。
すぐに営業担当から相談を受けたという川村が、当時を振り返ります。
「その方は千葉在住だったので、文庫判サイズのハンディな東京の地図と、千葉の地図をそれぞれ持っていたんです。営業担当に『昭文社さん、これ、会社から家までのルートが一冊にまとまった形の地図ってできませんかね?』と言っていたと聞いて、そうか、帰宅の方面ごとに地図を収録すれば、一冊ですむじゃないか、とピンと来て、すぐに企画書を書いたんです」
「ちょうどその2年前に、社内の別企画で、通常の北が上、の地図ではなく、歩いていく方向が上になっているストリートマップが出されていたこともあり、震災時に役立つ地図も、帰宅していく方向が上の地図がいい、となりました」
そうして企画された地図は、第一・第二京浜や青梅街道、中山道、日光街道など、12の方面別に帰宅支援ルートを収録。地震への心構えや、帰宅支援マニュアル、地震発生時シミュレーションといった情報も掲載した、当時としては画期的な内容でした。
当初、発売は9月1日の防災の日に合わせ、2005年の8月下旬予定でした。
ところが7月23日に千葉県北西部地震が発生、東京都内でも12年ぶりに震度5以上を記録しました。この日は土曜日で、たまたま休日にドライブで強震域を走行していた川村は、ドラッグストアの店頭に積んであったトイレットペーパーが次々と崩れ落ちるのを目撃、恐怖を感じたといいます。
局地的な地震にもかかわらず、首都圏の鉄道は広範囲で最大4時間運行を停止し、エレベーターの復旧にも非常に時間を要しました。
「これが土曜だからまだ混乱が少なかったけど、もし通勤時間帯だったら、どれだけ帰宅困難者が出ただろう」との考えが頭から離れず、すぐに関係者に掛け合って発売を早めることになりました。
8月上旬から店頭に並んだ『震災時帰宅支援マップ』は、直前の地震の記憶が鮮明な中、発売2カ月で57万部を超える大ベストセラーとなります。
『帰宅支援マップ』は大きな反響を呼び、その後も調査内容や収録範囲を見直しながら、首都圏以外の京阪神や中京圏など、各地の版が出版されます。
「地盤にかかわるプロフェッショナルである応用地質株式会社の調査協力も得て、予想される道路の状況、危険度を高い精度で地図に表現することにも腐心しました。しかし、災害の記憶というのはどうしても風化してしまうもの。私も担当を離れ、別の業務に取り組むようになりました」と川村。
そうした中2011年、東日本大震災が発生しました。そのとき川村は、仕事で東京・港区元赤坂の明治記念館にいました。
「周囲がざわつき始めて、徐々にストロークの長い揺れが押し寄せてきました。高いところについているシャンデリアが大きな音を立てて揺れたのがとれも怖かったことを記憶しています。感動したのは、スタッフの方の誘導ですね。とても落ち着いていて、はじめてとは思えないしっかりとしたアナウンス、態度でした。日ごろの訓練が効いていたのだと思いましたね」
「広い庭に誘導され、大型モニターが運び込まれて、ざっと100人くらいの人とともに17時くらいまで一時待機しました」
「都内はライフラインも生きており、ホッとしましたが、津波の映像をモニターで見て、一同言葉を失いました」
「17時に待機が解かれ、信濃町駅付近から麹町にある会社まで、歩いて戻りました。その時点で会社には数十名がいて、泊まる者、帰る者に分かれ、それぞれ準備をしました。自分は家も比較的近い(品川区)し、もちろん帰宅支援ルートは頭に入っていたので、帰ることにしました。家族とは連絡が付き一安心し、麹町⇒赤坂⇒六本木⇒五反田、というルートで帰宅したのですが、実際に歩いて感じたのはとにかく人が多いこと、そして自動販売機や自転車が邪魔になる、ということでした」
歩道からはみ出るほどの人が黙々と家路を急ぐ姿を目の当たりにして「もしこれが停電している状況だったら、果たして混乱なく帰れるだろうか」という思いがこみ上げてきた、といいます。
このあと再び地図の需要が高まるだろうと予想しつつ、この実体験を早速編集部に伝えなければ、と、肝に銘じながら家路を急ぎました。
東日本大震災以降、大きな余震が続いたこともあり『帰宅支援マップ』は数年ぶりの増刷となりました。そうした中、実際に体験したこと、国や自治体から新たに示された指針を踏まえて、大きく企画方針を変更することとなります。
そのあたりも川村に聞きました。
「元々、帰宅支援というのは地震直後に慌てて帰る、とにかく帰る、という趣旨ではなかったんです。しかし東日本大震災当時は、いつ帰るのか、どう判断するのか、といった情報が不足していたのでしょう、その点は各自の判断に任されていた、というのが実情でした」
「自分の体験、周りの人間の体験(⇒東日本大震災後の徒歩帰宅体験コラムはコチラから)、そして国や自治体から示された新しい指針からすれば、大切なのはまず、状況が落ち着くまで会社や近くの一時避難施設で待機して、数日経ってから帰宅をする、というものでした」
「なので、速やかな帰宅を推奨する本、という誤解を起こさず、正しく活用していただけるよう<一時待機後に動く>という文言を表紙に入れ、日ごろの備えの大切さや、一時避難施設等の紹介、解説にページを割くことにして、今に至っています」
2021年の今、思うことを川村に聞きました。
「災害が毎年発生するような状況の中、新型コロナウイルス感染症も広がってしまい、時差出勤やテレワークなど、環境が激変しています。職場や学校など所属先や出先で集まることが難しい今、今まで想定していたような災害対応マニュアルから、視点を変えて備える必要性を痛感します」
「一方でIT技術の進歩はめざましく、5Gや自動運転など新技術が当たり前になるのもあっという間でしょう。だからそうした技術も取り入れた上で、商品やサービスを別視点で企画したいと思っています」
「ただ、災害時は2018年の北海道胆振東部地震でも想定外の大規模停電(ブラックアウト)が生じるなど、必ずしも技術頼みでは安心できないのも事実。紙の地図を安全のために持つことは、これからも忘れないように心掛けたいです」
「12月に、高低差を表現した新機軸の『東京23区凸凹地図』という商品を発売しました。あちこちに坂、段丘やくぼ地がある東京の魅力を表現したいと思って作った地図ですが、視点を変えれば、災害時の避難対策にも役立つ情報だと思っています。こうしたアイディアも活かしながら、近い時期にまた新しい商品を生み出せたら、と思っていますので、待っていてください」
いかがでしたか。今回のインタビューでは、いち早く首都直下地震への危機意識を持った方のふとしたひとことから、やがて多くの人々の地震対策へとつながる画期的商品が生まれたこと、そして編集担当者自身の大震災の経験が、その後の商品改良につながったことを知りました。さらには時代に合わせた視点の切り替えの重要性も強く感じました。
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東日本大震災から10年 『あのとき、そして今、思うこと。』 特設ページ
⇒https://www.mapple.co.jp/blog/13323/