MAPPLE×新しいスタイル

~東日本大震災後、25回を重ねた「鵜ノ子岬→尻屋崎」ツーリングを通して見えたこの10年~

昭文社グループと縁の深い『ツーリングマップル東北』著者 賀曽利隆さんは、これまで10年間、毎年3月11日出発で東日本の沿岸部へのツーリングを欠かさず行ってきました。
東日本大震災に直面した際、どう思い、行動したのか。そして10年後の今、どう感じ、この先を見つめているのか。

コメントをお寄せいただきました。

賀曽利さんの「あのとき」

2011年3月11日の東日本大震災の当日は、前日の中山道の「宿場めぐり」を終え、伊勢原(神奈川県)の自宅に帰っていました。そこで大地震を体験したのですが、震源地から遠く離れた伊勢原でも震度5の揺れで、今までにないような不気味な揺れ方でした。すぐにテレビをつけると、衝撃の映像が映し出されていました。
私にとって東北の太平洋岸というのは、毎年走っている、いわば勝手知ったるエリア、ホームグラウンドのようなところです。福島県の浜通り、宮城県の牡鹿半島、岩手県の陸中海岸、青森県の下北半島などは「カソリのおすすめルート」「カソリのおすすめエリア」として、何度となく紹介してきました。そんな東北の太平洋岸が次々に大津波に襲われている光景は目を覆わんばかりで、「とんでもないことが起きた!」と、しばらくは茫然自失の状態でした。それからはテレビや新聞の報道を食い入るように見る毎日でした。あまりの衝撃のすごさで、体がまったく動かなかったですね。

これまで「鵜ノ子岬→尻屋崎」を25回実施

東北の太平洋岸に旅立ったのは、震災から2ヵ月たった5月11日のことでした。すぐに行きたいという気持ちの反面、衝撃のあまり、体が動かないような状態だったので、なかなか足が出なかったというのも事実です。ほんとうに大変なことが起こっているところに、私が行ってもいいものか…という迷いや恐れもありましたね。でも私には『ツーリングマップル』という仕事というか、使命感に似たようなものがありましたからね。『ツーリングマップル東北』の担当ライダーとして、まずは現状を見なくてはいけないと強く思いました。それをみなさんにお伝えするのが私の使命だと思いました。
ということで「鵜ノ子→尻屋崎」を開始したのです。鵜ノ子岬は東北太平洋岸最南端の岬、下北半島最北東端の尻屋崎は東北太平洋岸最北端の岬になります。「鵜ノ子→尻屋崎」を走れば、大津波に襲われた東北太平洋岸の全域を見てまわれると思ったのです。バイクの機動力を生かし、どの道が通れるのか通れないのかを見極め、被災された東北太平洋岸の全地域に足を踏み入れ、それをより多くのみなさんに伝えることにしたのです。復興が進んでくると、各地の復興状況を伝えることに主眼を置くようになりました。

2020年3月11日、東北太平洋岸最南端の岬、鵜ノ子岬を出発。目指すのは東北太平洋岸最北端の尻屋崎。これが第25回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」になる。

5年前に振り返っていただきましたが、あれからさらに5年、今、率直に何を思われますか?

「あれからもう10年か!」と、月日の流れの速さを一番に感じますね。この10年で東北太平洋岸の復興工事は急ピッチで進みました。日本の底力を強く感じます。その間では常磐道が完成し、現在では全線の4車線化工事が進んでいます。三陸道も毎年、延伸し、『ツーリングマップル』で延伸区間を確認するのが楽しみです。三陸道の全線開通が視野に入ってきました。さらに高速道でいえば「相馬~福島」間の東北中央道の全線開通が目前ですし、「釜石~花巻」間の釜石道の全線が完成しました。「宮古~盛岡」間の宮古盛岡横断道路も一部区間が開通しています。これらの高速道路は東北太平洋岸の背骨になるものですが、震災前にはここまで早く高速道路網が完成するとは夢にも思っていませんでした。
東日本大震災の10年を前にして、災害公営住宅の大半は完成し、盛土をして地盤を高くした新しい町並みも、高台移転をした家並みもその姿を現してきました。万里の長城を思わせる大防潮堤の大半は完成しました。ズタズタに寸断された鉄道網も復旧しています。JR常磐線の全線が再開し、特急「ひたち」が被災地を走り始めると、すぐさま「品川~仙台」間を乗りました。感無量でした。大津波で大きな被害を出したJR仙石線が復旧した時も仙台から石巻までの全線を乗り、高台移転した東名駅、野蒜駅を見ました。JR山田線の一部が三陸鉄道に移管され、全線が開通した時は、「盛(大船渡市)→久慈」間の三陸鉄道の全線に乗りました。こうして次々に復興していく東北太平洋岸の「今」を見るのはうれしいものでした。それだけの東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故さえなければ…という思いは、よけいに強くなってきます。

2020年3月4日に二輪車通行禁止の規制が解除された国道6号で双葉町に入った。感動の瞬間。東日本大震災から9年後のことだ。

―復興が進む中、昨年からは「コロナ禍」があり、先日は大きな余震もありました。困難な状況が続きますが、被災地の現在と未来をどう見つめていますか?

東日本大震災の大津波で未曽有の被害を受けた東北太平洋岸の被災地のみなさんですから、「コロナ禍」もきっと乗り越えていかれますよ。人間は修羅場を乗り越えると強くなるものです。先日(2月13日)のM7.3の大地震には肝を冷やしました。津波が発生しなくてほんとうによかったと思いました。それにしても10年前の地震の余震がM7.3というのは信じられませんでした。2011年3月11日のM9.0という超巨大地震が、いかにすごいものだったかを改めて教えられたような気がします。M9.0というのは「地震国」日本の中でも、史上最大級の地震なのです。
仙台以北の三陸海岸は明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸大津波(1933年)、そして今回の平成三陸大津波(2011年)と3度に及ぶ大津波災害を受けてきました。それを乗り越えられたのは、三陸海岸の海の豊かさがあったからだと思います。「日本の宝」といってもいいほどのもので、この豊かな海のおかげで、三陸の未来は限りなく開けています。

薄磯海岸での慰霊祭。毎年、各地で東日本大震災の慰霊祭がおこなわれている。

ー「三陸沿岸道路の全通も視野に入ってきた」とのコメントがありました。そうした復興関連道路の開通の意義について、お聞かせください

三陸道の全線開通は待ち遠しいし、その効果には極め大きいものがありますね。三陸道の気仙沼中央ICまで延びただけで、気仙沼市街に通じる国道45号の慢性的な大渋滞は解消されました。3月6日に気仙沼港IC~唐桑半島IC間が開通すると気仙沼の海側を通る三陸道と山側を通る国道45号の気仙沼バイパスの2本立てで、気仙沼をとりまく道路環境は劇的に変わりますね。
岩手県内では陸前高田から釜石までが通じています。そのおかげで釜石まで一気に行かれるようになりましたが、それだけではなく並行して走る国道45号がじつに走りやすくなりました。三陸のリアス式海岸特有の峠が連続しますが、交通量が激減したおかげで、国道45号は我らライダーにとってはおすすめのツーリングルートになりました。常磐道や三陸道の縦断路だけでなく、「相馬~福島」の東北中央道や「釜石~花巻」の釜石道の横断路の完成によって、福島県では太平洋側の浜通りと阿武隈川流域の中通りが結びつき、岩手県でも太平洋側の陸中海岸と北上山地を越えて、北上川流域へ行きやすくなりました。福島から相馬へ、北上、花巻、盛岡から釜石へ、時間を短縮して行けるようになりました。復興関連道路の大半は無料通行区間なので大助かりです。

3月6日に気仙沼港IC~唐桑半島ICが開通。気仙沼をとりまく道路環境は大きく変わる。

ー今年も「鵜ノ子岬→尻屋崎」ツーリングに出発されるときが近づいてきました。そして賀曽利さんはこれからも東北を走り続けることでしょう。今後への抱負、お気持ちを最後にお聞かせください。

東日本大震災から10年。今年も3月11日に「鵜ノ子岬→尻屋崎」に出発します。今回が第26回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」になります。東北の太平洋岸には25回の「鵜ノ子岬→尻屋崎」のほかにも、いわき市や石巻市、大船渡市など各地域ごとに何度となく行ってますので、この10年間で東北太平洋岸に行った回数は100回近くになります。これからも行き続けますので、「鵜ノ子岬→尻屋崎」は我が生涯を通したライフワークになっています。今回の第26回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」では目を大きく見開いて、東北太平洋岸の「今」をしっかりと見てきます。

賀曽利さんのコメントいかがでしたか?
ずっと被災地を走り続けてきたからこその応援メッセージ、未来への温かいまなざし。まだまだ大変なことが山積し、コロナ禍でもある中ですが、賀曽利さんの言葉から、希望を感じたのは私だけではないと思います。

関連コラムも順次公開しております。ぜひお読みください。

東日本大震災から10年 『あのとき、そして今、思うこと。』 特設ページ
https://www.mapple.co.jp/blog/13323/