(前編より続く)
Q:今回の旅で、自転車のメカトラブル対応はどうしていましたか?
A:自転車で旅を1年も続けると、起こりうるトラブルはほとんど全部経験します。もともと僕は自転車好きから始めたわけじゃなくて、あくまで「旅の手段」として自転車を選んだので、専門的な知識や技術はそんなに持っていないんです。でも、いざトラブルが起きても、ネットで調べたり、現地の人に頼ったりすれば、意外と何とかなるものなんですよ。
アリゾナでは路面がものすごく暑くなって、パンクが多かったんです。僕は普段、ドイツのシュワルベというメーカーのタイヤを使っていて、これは自転車旅の定番といわれているんです。でも、あまりにパンクが続いてタイヤがダメになってしまったので、南米で新しいシュワルベを手に入れようとしました。ところが、どうしても見つからなくて。仕方なく台湾製の安いタイヤに替えてみたら、意外にもそれで最後まで走りきることができました。
ネットなどの情報を見て「これが一番だ」と思い込みがちですけど、実際にやってみるとそうでもないんですよね。現地にあるもので十分やっていけると感じました。ちなみに、南米でAmazonを使ってタイヤをホテルに配送してもらおうとしたんですが、なんと南米にはそもそもAmazon自体がなかったんです。アマゾン川はあるのに(笑)

<左:1万km以上走ってかなりすり減ったシュワルベのタイヤ、右:リマで入手した台湾・CST社製のタイヤ>
Q:食事はどうしていましたか? おいしいものはありましたか?
A:食べ物に関しては、どこに行ってもポテトチップとかクノールのスープみたいな定番のものが手に入るので、あまり困ることはなかったです。南米は全体的にごはんがおいしくて、特にペルーやチリ、メキシコで食べたセビーチェが印象に残っています。魚やエビ、イカをレモンや柑橘系の果汁で締めた料理で、日本人にとってはどこか懐かしい味なんですよね。日系移民の方が考えたっていう説もあるそうです。
「走っているときは何を考えてるか」ってよく聞かれるんですけど、だいたい食べ物のことですね(笑)。普段そんなに好きでもないのに、旅の途中で「牛丼食べたいな」って思ったりして。実際、メキシコシティに「すき家」があったので、迷わず入りました。ラーメン屋もあちこちにあるので、ときどきお世話になりました。やっぱり醤油とか味噌の味が恋しくなるんですよね。
逆に北米では、ずっとスーパーで買ったパスタばかり食べていましたね。カナダで「名物料理って何?」って聞いたら、「そんなのないよ」と言われてしまいました(笑)
世界を回ってみて思ったのは、やっぱり食べ物がおいしかったのは中国とイタリア。トルコやモロッコはエスニックな味わいで印象的でしたけど、それ以外の国は粉を練って焼くような、けっこうシンプルな料理が多かったです。そう考えると、日本の食文化って本当に世界の頂点にあるかもしれませんね。

<左:リマで食べたセビーチェ、右:メキシコシティのすき家>
Q:今回の旅の宿泊環境はどうでしたか?
A:疲れがたまったときや大きな街では宿に泊まることもありましたが、基本的には野宿をしていました。中南米は比較的野宿がしやすくて、街なかでは食堂などで「屋根の下にテントを張らせてもらえますか?」とお願いして泊まらせてもらうこともありました。特にメキシコでは、意外と街が途切れず続いていて、民家の庭にテントを張らせてもらったり、ときにはベッドを貸してもらったりすることもありました。

<民家の敷地内にテントを張らせてもらう>
Q:今回の旅で、印象に残っている国や出会いがあれば教えてください。
A:先ほどの話の続きになりますが、メキシコは本当に人が温かかったです。旅の途中で出会った人が、次の街にいる知り合いを紹介してくれたりして、どこへ行っても「待ってくれている人」がいるような感覚でした。現地のコミュニティやSNSを通じて、人から人へとつながっていく感じが本当に温かかったですね。
例えば、バハ・カリフォルニア半島からメキシコ本土へ渡る船の中でプエブラ在住の方と出会って、その1か月後にはプエブラでその方の家に泊めてもらったんです。メキシコの人たちはラテン系らしく、とてもフレンドリーでオープンなんですよ。自転車旅で訪れた37か国の中でも、メキシコは間違いなくトップクラス。友達が一番多くできた国といってもいいと思います。正直、治安が悪いイメージもあったんですが、行ってみたらまったく違って、いい意味でイメージを覆されました。

<船上で出会ったカルロスさん(右)にプエブラの自宅で再会>
Q:逆に、人に騙されるなど危険な目には遭いましたか?
A:今回の旅では、幸い騙されたり危険な目に遭ったりすることはありませんでした。やっぱり、人の顔や話し方、雰囲気である程度わかるようになるんですよね。自転車や旅が好きな人って、接し方や距離の取り方で自然と伝わるんです。逆に、少しでも「怪しいな」と思う人がいたら、こっちから距離を取るようにしていました。
Q:引き返しやルート変更はありましたか?
A:カナダでは山火事の影響で、フォートネルソンという町の手前の道が完全に封鎖されてしまったことがありました。ちょうど町の直前で現地の人に声をかけてもらって、車に乗せてもらい、100kmの道のりを引き返すことになったんです。その方の家に1週間ほどお世話になったんですが、なかなか道が再開しなくて、最終的に別ルートで行くことにしました。お世話になった家の方に400km手前のワトソンレイクという町まで車で送ってもらい、そこから別ルートで再スタートしたんです。結果的に1000kmも遠回りになりましたけど、忘れられない出会いになりましたね。

<左:フォートネルソンで起こった山火事の煙が見える、右:お世話になったレネイさんとクリスティーナさん>
Q:泊めてもらったときのお礼はどうしていましたか?
A:前回の旅では、途上国の家庭に泊めてもらって、しかも食事までごちそうになることに、どこか後ろめたさを感じていたんです。だから、最初のうちはお誘いをお断りしていたこともありました。でも、だんだんそれも違うなと思うようになりました。
僕の旅のテーマは「世界を自分の目で見る」なんです。だからこそ、人の優しさも含めて、そのまま受け取ることが大事なんじゃないかと感じました。正直、現地で何かお返しができたわけではありませんが、本に書いたり、講演で話したりして、その国のよいイメージが伝わることが、遠回りでも恩返しになるのかなと思っています。英語に「Pay it forward」※1という言葉がありますけど、まさにそんな気持ちです。助けてくれる人がいるなら、その言葉に素直に甘えて、優しさを受け取ることが、僕にとって「世界を見る」ことにもつながっていると思います。
※1 Pay it forward:誰かから恩を受けた場合に、その恩を別の人に送ること。恩送り
Q:旅が終わってしまうことへの寂しさなどはありませんでしたか?
A:今回の旅では、「旅から得られるものはすべて受け取った」と感じる瞬間がありました。旅も終盤となったボリビアでは、標高4000mを超える高地に果てしない砂漠が広がっていて、空気が本当に澄んでいるんです。そこで見た星空がものすごくきれいで、その光景を前にしたとき、「ああ、ここが自分の旅の到達点なんだな」と思いました。
でも同時に、「ここが自分の“人生”の最高点ではダメだ」とも感じたんです。まるで旅が終わることを告げられたような気がして、「次のステップに進みたい」と思ったんです。だから、不思議と寂しさはありませんでした。

<左:ボリビア・アタカマ砂漠の標高4911m地点にて、右:アタカマ砂漠の満天の星空>
Q:旅を終えて日本に戻ってきたときの、前回との違いはありましたか?
A:日本に帰国したときは、先ほどもお話ししたように、旅で得られるものはすべて受け取ったという実感がありました。そして同時に、日常がすごく恋しく感じられたんです。これからは日本での日常を大切に生きていこうという気持ちが自然に湧いてきました。もともとサラリーマンだったとき、ルーティーンの中で淡々と仕事をこなし日々を過ごしていたんです。しかし旅を通じて、僕らを取り巻く世界には本当にたくさんの発見や興奮があることを知りました。だから今は、それらをどう日常で体感していけるかを考えるようになりましたね。
旅をしているときに気づいたんですが、安定した生活の中でないと、勉強したり知識を深めたりするのは難しいんですよね。今は日本で生計を立てるために、全国通訳案内士※2の試験に向けて勉強しています。英語はもともと得意でしたが、歴史や地理はなかなか難しくて、合格率も10%ぐらい。でも、その勉強が楽しくて仕方ないんです。旅で得たエネルギーが、今は違う方向にうまく変換できているように感じています。
これまで自分は海外でたくさんの人に受け入れてもらったので、今度は日本を訪れる旅行者を受け入れる側になりたいと思っています。そういう意味では、この仕事は自分にぴったりだと思うんです。ただ、ガイドになること自体が最終目標というわけではなくて、あくまでその先にある何かにつなげていくための手段のひとつだと考えています。
※2 全国通訳案内士:通訳案内士とは、訪日外国人を有償で案内する通訳ガイドのこと。そのうち、全国通訳案内士は国家試験に合格し、都道府県の登録を受ける必要がある
Q:何かに挑戦したいと考えている人に伝えたいことはありますか?
A:日本史を勉強していると、「あ、ここに行ってみたいな」という場所がどんどん出てくるんです。やっぱり「知る」ってすごく大事で、知るからこそ興味が生まれるんですよね。だからまずは知ること。そのためには、普段行かないような場所に足を運んだり、知らない世界に飛び込んでみたりするのが大切だと思います。脳科学者が「年を取ると新しい経験が少なくなるから、1年が短く感じられる」と言いますけど、それなら新しいことをどんどん経験していけば、1年がもっと長く感じられ、人生もより充実するはずです。僕自身、旅を通してまさにそれを実感しました。
今、僕がいろいろな場所で伝えているメッセージはとてもシンプルで、「思いがあるなら行動を起こそう」ということです。やりたい気持ちがあるなら、小さくてもいいから一歩を踏み出してみる。そうすれば、きっと世界が少しずつ広がっていくと思います。もともと僕は、特別な環境で育ったわけでもなく、本当に普通の家庭で育った、普通の社会人でした。だからこそ、そんな自分が世界一周をしたということに、ひとつの価値があると思っています。
Q:旅を終えて、現在思うことは何ですか?
A:日本に帰ってきて、だいたい5か月くらいになりますが、すごく充実しています。帰国したのが4月半ばで、その直後から講演会のツアーが始まり、1か月の間に20回くらい講演をしました。それが落ち着いてからは、8月の全国通訳案内士の試験に向けた勉強をしたり、旅で撮った素材を使って動画を作ったりしています。旅で得たエネルギーを、次のアクションに余すことなくつなげていきたいと思っていて、今はとにかく楽しみながら挑戦を続けたいですね。
Q:最後に、言い残したこと、ぜひ言いたいことなどあればお聞かせください。
A:世界一周という大きな旅を終えた人間が、そのあとどんな人生を送るのか――それを自分自身が一番楽しみにしています。自分の期待に応えられるような人生を送りたいと思っています。旅を通して本当にたくさんの人に出会い、人との出会いから生まれるものの大きさを実感しました。だからこそ、これからも人前に出て話したり、交流したりすることで、また新しいつながりが生まれたらいいなと思っています。
執筆:稲垣 宏樹(旅行書ライター、Webライター)
今回、友竹さんとは約2年ぶりにお会いしました。旅の前とは異なり、すっかり穏やかな、柔和な表情になられたのが印象的でしたね。お話を伺ううちに、その表情の中に未来を見据えた覚悟や夢が垣間見えて、こちらもワクワクしっぱなしの素敵な時間でした。
最初のユーラシア・アフリカ編(詳しくはコチラをどうぞ⇒https://www.mapple.co.jp/blog/23051/)とはまた異なる沿道環境、そして世界的な物価高騰の中でスタートした北米ー南米縦断旅。この旅において友竹さんは、大自然に圧倒されながら旅の到達点を感じ取り、さらにそれを次のステップへと結びつけるきっかけを得たそうです。
「ごく普通の人がこんな冒険を完遂できたことに、意味があると思うんですよ」と語る友竹さんの瞳は、どこまでも澄み渡っていました。
「もし今、将来のことに迷い不安な気持ちが襲ってきたとしても、旅はその答えを見つける機会を与えてくれるかもしれない。」そんなメッセージをいただいた気がします。これからの友竹さんに期待し、ずっと見守っていたいと思います。

友竹さんは今後もブログ、SNSにて発信します。
⇒http://cycling-the-earth.com/
◆X(旧Twitter)⇒https://twitter.com/ryosuketomotake/
◆Instagram⇒https://www.instagram.com/cycling_the_earth/