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友竹亮介さんという方をご存知ですか?幼少の頃からの冒険への憧れ、自転車趣味など一切なかった普通の会社員から、一念発起して「自転車世界一周」に挑戦、コロナ禍で一度完遂を諦めるも、ユーラシア~アフリカまでの挑戦を旅行記にまとめ出版に漕ぎ着けます。

出版記念で小学校への出前授業を行った際、子どもたちから背中を押され、挑戦を再開することを決意。いよいよ来春、アラスカへと旅立ちます。

世界地図をご提供する形でサポートさせていただいている当社広報が、友竹さんのこれまでの人生の振り返り、挑戦時のエピソード、旅行記出版の経緯、旅を再開する理由と今後の予定、目標について、たっぷりとお話をお聞きしました。<夢>が持てず、生き方を模索している方に向けてのメッセージも!ぜひお読みください。



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プロフィール
◆友竹 亮介 (ともたけ りょうすけ)

1988年、広島県生まれ。
大学卒業後にメーカー営業の仕事に就き、約3年間勤める。その後、英語を学び直すため専門学校へ2年間通う。卒業後、英語教員として3年間働く。
そして、2018年5月「自転車世界一周の旅」 出発。2019年12月に一時帰国、コロナ禍による挑戦の無期延期中に旅行記『二輪一会』を執筆、2022年4月出版。出版記念の出前授業で子どもたちから背中を押され、2024年4月より挑戦の再開を決意。

|| Cycling The Earth~自転車世界一周の旅~(公式ホームページ)
http://cycling-the-earth.com/


第1章:「挑戦の始まり – 自転車世界一周挑戦のきっかけは?」

Q:まず、挑戦に至るところまでの経緯をお聞かせください。

A:私は就職活動の際、リーマンショックの影響をモロに受け、2010年春に拾っていただくような形で就職、悩みながらも営業職として約1年、成長させていただく中で、香川県で東日本大震災の報に接しました。(津波で)すべてが流されてしまうのを目の当たりにして「人生というのは理不尽なことも起きるし儚いものだ」と痛感、果たして今の自分は本当に好きなことをできているのだろうか、と自問自答する中で、自分の好きだったもの=「旅、映画、本、音楽」という軸からこの先の人生を見つめ直しました。元々旅が好きで、漠然と海外旅行への憧れがあった中、好きだったビートルズがインドに傾倒していたことに着想を得て「きっと何かあるに違いない、そうだインドに行こう」と思い立ちました。
「地球の歩き方」を持って3カ月、バックパッカーとしてインドを旅してきました。その時点では、旅に行ってそれこそトラブルを含め経験を積むことが娯楽であり、成長のための試練だ、という感覚でした。帰ってきてから2012年には地元・広島の語学学校(英語)に通い始め、夏休みに1カ月アメリカ旅行へ。アメリカを選んだのも音楽が大きいですね。好きなブルースやジャズを聴いて歩いたり、定番ですがグランドキャニオンに行ったりしました。その後も休みの際に2週間のカンボジア旅行へ行きました。
そこでご縁があり、通っていた語学学校の講師となります。
旅を通じて、自分のやりたいことが沸々と湧いてきました。「30歳をメドに世界一周したい!」という決意が固まり、そのやり方を模索するようになります。

<「音楽」や「本」が友竹さんを旅へと導いた>

 

Q:自転車が趣味、とかそういうことではなかったんですね?

A:はい。全くそういうことはなくて、たまたまロードバイクを持ってはいましたが、たまに通勤で使うとかそんな程度で。詳しくないですし、師匠とかもいなくて乗り方も我流です。
自転車旅をしようと思ったのは、バックパッカーとして旅をしていく中で、旅そのものに慣れていって、このまま世界一周しても、興奮が少なくなっていくんじゃないか、と感じたからなんです。そこに挑戦心、努力、ということをもう一度求めたい、と思っていたある日、「そうだ、自転車だ」とひらめきました。旅のスピード感、という意味でも、自転車ならどこまでも行ける!と感じましたし。ただその時点では自転車旅に何が必要?とかどうすればいい、といったことは見当がつきませんでした。のちに知ることになりますが、過去の自転車旅の事例なども全く知らず、手探りでした。

<手探りだった自転車旅の準備>

 

Q:具体的に挑戦しよう、となってから、どのように行動しましたか?

A:スポンサーとなってくださる企業、ご支援してくださる方を探しました。インドの旅のときにガイドブックの地図を赤ペンでなぞりながら過ごしたのがとても充実していたので、世界地図を持っていきたい、世界地図ならもう昭文社、と決めていまして(笑)、ご連絡してトントン拍子に世界地図をご提供いただきました。

<旅の準備、予行演習、プランニングや現地での位置確認に使われた昭文社の地図>

 

ほかアウトドア用品や自転車用品、電源やガソリンストーブなどの企業の方が賛同してくださって、たくさんの装備を調達することができました。さらにWEBサイトも専門の方に実に素敵なデザインにしていただいて。予想を超える多くのご支援が集まりました。
もちろんそうした方々の善意のおかげですし、運もいいと思うのですが、なんといっても挑戦するんだ、という「旗を立てる」ことが大事で、そのことに賛同していただいたからこそのご支援だな、と強く感じました。
そして自分が挑戦してよかったと思うことがもうひとつありまして、自分より若い人たち、子どもたちへのメッセージとしても、意義があると感じています。
語学学校の教え子たちは18~20歳くらいだったのですが、接していてエネルギーを持っているし、とてもクレバーな反面、どこか冷めている部分、夢という言葉への拒絶反応的な雰囲気も感じていました。
そんな子たちを前に、「旅は遊び(娯楽)だけど、それを本気でやれば、凄いことも実現できるんだ」と伝えたかったんですね。実際に挑戦を表明した際、それを受け止めてくれて「海外に行く」といってくれた子がいましたし、教え子以外にも看護師の方で「英語しゃべれないけど挑戦心が湧いて、アメリカに行って語学をマスターして向こうで看護師資格取ります」と決意した方もいたりして、「挑戦は人の背中を押す」のだ、ということを強く感じました。私が特別なアスリートでも自転車の競技者でもなく、<普通の>サラリーマンだ、という点ももしかしたら背中を押しやすいのかもしれませんが。いずれにしても、周りの人からの支援や反応をいただいてみて、改めて挑戦して本当によかったと思っています。

 

Q:計画を立てる段階で、挑戦の途中での調達、アクシデント対応などはどう考えていましたか?

A:プランニングの段階では想像がつかなかった、というのが正直なところですね。実際途中でガソリンストーブの交換(イラン)やヘルメットの交換(スペイン・バルセロナ)を日本から送っていただく形で行いましたが、それ以外は大きな調達等はありませんでした。いろんな旅を経験してきたこともあり、行ってしまえば何とかなる、と思っています。
自転車ですのでパンクは日常茶飯事で、それは都度直していましたが、フレームがクロモリ(丈夫なクロムモリブデン鋼)でかつ26インチのランドナータイプの自転車にして、アフリカなどでも入手・修理しやすいようにしたり、チェーンは危なそうなところの前に事前に変えておいたり、できる対策はとっていました。自転車店の方からスポークの直し方なども伝授していただいたのですが、一回もなかったので結局できずじまいでしたね。

<左:イランで交換したガソリンストーブ、右:スペイン・バルセロナで交換したヘルメット>


第2章:「挑戦の途中 – 旅の日々と遭遇した優しさ」

Q:2018年5月に出発されたここまでの旅の詳細は御本(二輪一会〔みらいパブリッシング〕⇒https://miraipub.jp/books/18279/)も出されているので、ぜひそれをお読みいただきたいところですが、特筆すべきこと、特に印象に残っていることをこの場でお聞かせいただけますか?

<旅行記『二輪一会 二度と出会えない人』(みらいパブリッシング)の表紙>

 

A:2018年5月に挑戦を開始して、中国から中央アジア、トルコを経てヨーロッパ、そしてアフリカを縦断しました。
場所としてココ、というところを挙げるとしたらアフリカですね。行く前は不安もあったのですが、決して豊かではない、多くのモノを持たない現地の人々が、水を運んできてくれたり食料を分かち合ってくれて、テントを張る=寝るところ(動物もいますので重要)についても、ジェスチャーで一生懸命コミュニケーションをとってくれて。見返りを求めない親切、やさしさに何度も触れました。「無償の愛」ですね。

<左:みんな親戚ということでなかよしだった子どもたち、右:伝統料理の“シマ”をごちそうしてくれた>

 

ちなみに各国の野宿事情でいうと、ヨーロッパは管理が厳しくなってきて野宿がしにくかったです。中国も多少そういうところがありました。アフリカはその点、野宿はしやすかったですね。
道に関しては、中国の奥地から中央アジア、そしてアフリカは一本道しかないところが多く、迷うということはまずありません。ヨーロッパはその点、道をよく確認しながらでないと迷います。
気象条件の面だと、トルコでマイナス10℃を経験、一方、アフリカ(ナミブ砂漠=ナミビア)では45℃を経験。内陸部では冬用のテント、海岸部では夏装備(テント類はモンベルさんご提供)、ということで、寒暖差を体感しました。ただ、45℃といっても乾燥しているので、日本の夏より快適なんです。日本の(蒸し暑い)夏は、世界で一番暑いと思います(苦笑)。

 

Q:世界一周(2018年の開始時点)を目指すとなると、予防接種なども多くの種類が必要ではないかと思いますが、実際のところどうでしたか?

A:そうですね、外務省のサイトなどで徹底的に調べて、10種類近かったですかね?打ったと思います。世界には野犬がいて、狂犬病もありますし。種類によって接種可能な施設が違っていて、僕は広島出身ですけど黄熱病のように広島の港(検疫所)に行かないと打てない、というのもありました。同じ日に何本も同じ部位には打てないですし、順番もあるようで、大学病院で計画を立てていただいて1カ月くらいかけて打っていくんです。ほか、主にアフリカで使ったのですが、ワクチンのないマラリアに関しては蚊取り線香が大活躍でした。日本製ではないと思いますが渦巻き型で、どこでも手に入るんです。


第3章:「挑戦の中断 – 新型コロナウイルスとの向き合い方」

Q:中国から挑戦を始めてアジア→ヨーロッパ→アフリカ、と旅して、アフリカ南端で一時帰国をされました。そのときは少し準備したらアメリカ大陸に行くつもり、だったんですよね?

A:2019年12月に一時帰国(当時の予定)をしました。2020年9月から再開するつもりで、あいさつ回りやら手入れやら準備やら、を進めようとしていましたが、ご承知の通り3月ぐらいから新型コロナウイルス感染症が世界中に広まって、挑戦どころではなくなってしまいました。
迷いがなかったといえばウソになります。4月くらいまでは「夏過ぎにはもしかしたら」とかいろいろ考えていました。しかしアベノマスクだ、緊急事態宣言だ、ロックダウンだ、となった時点で完全に無期延期、一旦白紙になってしまいました。

 

Q:急に目標を失った状態だと思うのですが、落ち込まなかったですか?

A:それが、結構割り切りまして「そうだ、時間があるし、旅行記を書こう!」とひらめいたんです。元々旅が終わったら発信したい、これから何かに挑戦する人にメッセージを送りたいと考えていて、本はその作戦の中のひとつでした。まだ挑戦は完遂していないけど、ここまでの旅でも十分本にできるだけの材料はあるな、と感じていたのと、貴重な<時間>というものを得た、という思いが、本作りを決意させました。
先ほどお伝えしたように挑戦自体、思い立ってからすぐに行動していろいろ調達できたので、本についても即着手しました。ネットで「本の企画コンテスト」を探してみたら、2カ月後が締め切りのものが見つかりまして、早速日記を元に執筆開始です。
帰国後仕事としては以前の旅の途中にバックパッカーの方に教えてもらった宿で住み込みの仕事(派遣)を神奈川(湯河原)でしていたんですが、コロナでその仕事もなくなり、一旦広島へ帰りました。
春から書き始めて夏にコンテストに応募、そうしたらなんと200くらいあった中で最終選考の6つまで、残ったんです!最終的には通らなかったんですが、初めての執筆でしたから  「これは世に出しても恥ずかしいものじゃないんだ」と自信になりました。
その後はしばらく広島でアルバイトをしてお金を貯めつつ、翌年2021年5月に、別の会社(本を出させていただいたみらいパブリッシングさん⇒ https://miraipub.jp/)に持ち込みました。1~2カ月ほど検討していただいて、夏に最終のGOサインが出て晴れて契約、翌年にかけてテキスト直しや写真のセレクト、デザインなど順次固まっていき、最後は印刷に立ち会って2022年4月に本を出すことができました。まさにトントン拍子でしたね。
意外だったのは「てにをは」的な直しは別として、自分が書いたことをほとんど採用していただいた、という点です。当初は「素人が書いたものだから(文が)残るわけがない、きっと別の方が書くのだろう」と思っていましたので(笑)「ご本人の文章がやっぱり臨場感があって、一番説得力がある」ということだそうです。
また、カバーを外すと私の手描きの世界地図が出てきます。これ、まったく使うというお話もなく「友竹さん、ちょっと地図描いてみてください」と言われて何の気なしにサクッと描いたんですけど、なんと採用されてしまいました。言ってくれたらもっとちゃんと描いたのに(笑)、というのは冗談ですが、こんな風に作るんだ、と思いましたね。

<友竹さん直筆の地図が表紙(カバー下)に使われている>

 

この本、実はデザイナーさんのアイディアで、ページによって使う紙を変えているんです。旅先の雰囲気、写真によって合う紙が違う、とのことで、アフリカは比較的光沢のある紙で写真も鮮やか、ヨーロッパは少し落ち着いた感じの写真に仕上がる紙、という具合です。その点も異例だったようで、みらいパブリッシングさんには本当によくしていただいたと感謝しています。

<光沢のある紙が使われたアフリカのページ。エリアの特徴、臨場感が醸し出されている>

 

Q:本を出した後の反響等をお聞かせください。

A:実は今回の本の出版は、挑戦の再開(完遂)を全く考えない中で行いました。予算の確保(資金面)ももちろんですし、年齢的にも2023年には35歳を迎えるため、もう厳しいだろうな、と思っていたんです。ひとつの節目として出版で区切りをつける、そういう意味合いでした。
出版記念のトークイベントや写真展を地元広島で開催することができ、ラジオ出演や新聞の取材、さらに教師をしている兄のツテで、出版から半年の間に広島の小学校計14校での出前授業もさせていただきました。そうした方々、特に子どもたちからの反響を直接(感想文)・間接(SNS等)でいただいてみると、挑戦を続けるとも何とも言っていないにもかかわらず「世界一周、応援しています」「夢を持ちたい」「僕も何か大きなことにチャレンジします!」といった言葉を掛けてくれたんです。
「誰かの背中を押したい。押せたら」と思って挑戦を始めた自分が、今や子どもたちから背中を押されている、ということに気が付きました。資金や年齢などをあまり考え過ぎず「旗を立てれば道は開ける」とある種他人事のように捉えてみることにしたら、やっぱり「挑戦したい」と思う自分がいました。
こうして、2022年秋に一念発起、旅の再開を決意して今に至ります。

<左:出版記念のトークイベント、右上・右下:小学校での出前授業風景>


第4章:「挑戦の未来 – 新たな目標への準備と旅の予定ルート」

Q:さあ、いよいよ旅の再開を決意されたわけですが、そこからの具体的な活動、今後についてお聞かせください。

A:まずは資金を貯めるべく2022年秋からは仕事により一層精を出しました。コツコツと準備も行い、この春(2023年4月)にSNS(Instagram⇒ https://www.instagram.com/p/CqfhL0_SvbE/)上で正式に決意表明をさせていただきました。
10月上旬にはラジオ番組(JFN系列「サイクリスト・ステーション_ツアー・オブ・ジャパン」⇒https://audee.jp/voice/show/69654)でも2週にわたって、改めて前回の旅のことや新たな挑戦への決意、今後の予定等についてお話をさせていただいたところです。
実際の挑戦は2024年4月からを予定しています。まずアラスカに向かい、アンカレジから南下していきます。メキシコで一旦空路を使い、ペルーのリマから南米の自転車旅を再開、最南端までの約18,000kmの旅になります。
メキシコ~ペルー間も自転車で走れないわけではないのですが、そうすると旅が2年にわたってしまいます。今回、資金面などを勘案し約1年間の旅とするため、このようなプランとなっています。

その予定ルート図はこちら↓

 

アラスカの寒さ、アメリカの物価高、南米のアンデス越え(高度4000m超)、アタカマ砂漠(標高2000m)の過ごし方、等が気になりますが、コーカサス地方で1日に2000m登った(距離20kmで!)経験もありますし、楽しみのほうが今は大きいですね。行けば何とかクリアできる、と考えています。
アメリカではハンバーガーがめちゃくちゃ高いと聞いているので、なにがしかの穀物を食べるのかな、と想像していますね。あとは野宿がどのくらいしやすいか(特にアメリカ)、全体に寒さ対策が重要になり装備も増える中で、暑さ対策(メキシコ)をうまくできるかどうか、といったところが心配な点です。
ちなみに今回の挑戦でオーストラリアには行かない(初海外の際に行ったことあり)のですが、前回と合わせ全行程で約43,000kmにもなり、赤道1周40,000kmを超えているので自分としてはこれで<世界一周>ということにさせていただきたいと(笑)思っています。
これが新しい挑戦の計画になります。今回の目標はやはり「初志貫徹」ですね。「やり遂げる」ことの大切さを応援していただく方々から教えていただいたので、来年2月、出発前に地元広島を中心に何とか機会を作って、特に子どもたちの前で決意表明をしたいと今いろいろ模索していているところです。またお知らせするので期待していてください。


第5章:「人生もまた挑戦の連続 – 友竹さんからコラム読者へのメッセージ」

Q:友竹さんからコラムをご覧になった方へのメッセージがあれば、お聞かせください。

A:これまでの繰り返しになる部分もありますが、「好きなことを見つける」「やり切る」ことの大切さ、をとりわけ伝えたい、と思っています。
若いとき(10~20代)は「仕事を見つけなきゃ」「人のため」「社会のため」という観点というか、そういう意識、プレッシャーを常に感じていると思うんですね。社会人になることはそういうことだ、という観念みたいなものに支配されがちかな、とこれは自分の経験からも思うんですが、あえてそこで「自分自身の満足」を優先してほしい、心からそう思います。
自分自身が「本気で遊ぶ」「本気で楽しむ」ことで、人の心が動き「元気をもらえた」といってもらえる。そうした経験から、今はもしかしたら「夢がない」という人でも、何かが見つかるかもしれないし、どんなことでもいいので挑戦すると、それに賛同する人、協力してくれる人が見つかる、そのことを信じてほしいな、と願っています。
これは自分自身も本当にそうだった、と思うからなんです。学生時代、スポーツで全国大会に行ったとか、ものすごく勉強して難関大学に合格したとか、成功体験が特になかった自分でも、こんなに達成感を味わうことができる。自分のやりたいことをやり切ったからこそ、だと思います。

 

Q:旅が終わってもし振り返ったとしたら、どんな思いが去来するでしょう?

A:間違いなく言えるのはやってよかった、後悔がない、ということです。一番やりたかった大好きな自転車旅ができたことには本当に大満足で、チャレンジした自分に誇りを持って生きていけると確信しています。
自分で稼いで、スポンサーを探し、英語も学んで、そうした活動を通じて人として成長し、喜びを分かち合う経験ができたので、今後はそれを糧としつつ、挑戦したいと思う別の人を支えたり、何かを作り上げたり、別のことでまた<挑戦>が続けられたらいいなと思います。
僕と面白いことをしたいと思う方がいたら、ぜひご一緒しましょう!お待ちしています。

編集後記:「昭文社ホールディングスは友竹さんを今後もご支援します」

今回、友竹さんとは約5年ぶりにお会いしたのですが、旅やコロナ禍、出版といった人生における大きな経験を経て、その人間性に一層磨きがかかり、ゆったりとしたお話ぶりの中にもどっしりとした軸があり、人生をしっかり生きているという確信、といったものを感じながらお話をお聞きしました。
様々な制約がある現代社会において、「自分の好き」を優先することは、口で言うほど簡単なことではないかもしれません。そんな時代にもかかわらず挑戦を成功させ、本も出版した友竹さんに感じたのは「特に気負わず決断し、思い立ったらすぐ準備をして好きなことに地道に本気で取り組んでいく」という静かな闘志、信念です。
お金があれば、時間さえあれば、と思う前に「自分が何をしたいのか」を丹念に探して、一歩ずつ実現に近づいていく。旅の前も、旅の最中も、慌てず騒がず着実に少しずつ少しずつ前進していく姿勢こそが、大きな夢の実現への近道なのだ、と教えられた気がします。
これからもそんな友竹さんの挑戦を応援し続けたいと思います。旅から無事戻られ、また素敵なお話をたっぷりお聞かせいただけるのが今から楽しみでなりません。お気をつけて、行ってらっしゃい!



<友竹さんの今後のご予定>
→更新され次第随時お知らせしていきます。

◆2024年2月 広島県内各地でトークイベント実施
◆2024年3月 広島から関東へ自転車で旅をしながら移動
◆2024年4月 アラスカへ向け出発、南北アメリカ大陸の旅開始

今回もブログ、SNSにて旅の様子を発信します。
http://cycling-the-earth.com/
◆X(旧Twitter)⇒https://twitter.com/ryosuketomotake/
◆Instagram⇒https://www.instagram.com/cycling_the_earth/


今回友竹さんにお話をお聞きした場所は…駒沢大学駅近くの地理系カフェ「空想地図」さんです。

2022年9月にオープンした都内でもめずらしい地理系に特化したブックカフェ。2023年10月現在、1400冊以上の地図・地理等の蔵書がウリです。購入可能な書籍、空想地図、グッズも。お好みのドリンクやお料理と一緒にさまざまな楽しみ方が可能。イベントなども随時開催しています♪

|| 公式サイト
https://chirikeibookcafe-kuusouchizu.owst.jp/