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コラム

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Vol.2
江戸随一の繁華街であった麹町。そこは同時に、複雑な番町を案内するニーズから生まれたといわれる新しいタイプの地図「江戸切絵図」の制作が著しく発展した地域でもあった。
奇しくも地図とガイドの専門出版社である小社が本社を置くのもこの麹町。
「江戸切絵図」の復刻版制作で名高い岩橋美術 岩橋さんご夫妻とともに、江戸末期の「地図」という「工芸品」をあらためて考察し、現代の麹町の街並みから江戸の「ものづくり」精神を偲ぶ二回シリーズです。

『“麹町、150年前からずっと地図の町„ Vol.1』

岩橋美術による江戸切絵図の復刻 〜魅せられて〜

そのように微に入り細にわたり江戸切絵図を眺めれば眺めるほど、当時の制作者の技術や情熱に感服して魅せられていきました。武家屋敷にはほとんどすべて名前がフルネームで記載されていますが、スペースが小さくて書ききれないときは姓だけ、それもだめなときはカタカナで入れてあります。ちなみに江戸切絵図では名前の書き始めの方向がその屋敷の入口を指し示すので、入口の位置関係まですべて調べて記載していたことになりますね。
そしてそれらの情報を表現する版画の技術、これもすごい。細かい漢字のハネやトメまで表現されていますし、屋敷替えがあれば重版のたびにその部分だけぞうがんして表記を更新しています。当時の絵師、彫師、摺師が腕と誇りをかけて取り組んだ様子が目に浮かぶようです。
復刻までの道のりは長く、ときに苦労もありましたが、そういった江戸の匠たちの心意気になにより勇気づけられ、楽しみながら取り組めたのだと思います。

岩橋美術による江戸切絵図の復刻 〜夢と想い〜

復刻した江戸切絵図が少しでも多くの方のお手元に届くこと、今はそれが願いです。それに江戸切絵図がご縁でこうして昭文社のみなさんともお話ができ、看板にまで採用された。とても有意義なことだと思います。
と言いつつですが、実を言うと、いつか江戸全図も復刻してみたい、そう思って原図は入手しているんですが(笑)。こちらもまたえもいわれぬほど見事ですから、きっとみなさんに喜んでいただけるのではないかと思っています。地図の表現だけでなく、波立つ江戸前の海には帆を満帆に張った漁船や小船が浮かび、日本橋から主要地までの里程表が付いていて、ユーモラスで本当に素晴らしい世界観です。でも近頃ではちょっと、〝索引〟取りが難しそうだなあなんて弱気になったりしてますが(笑)。江戸全図にはくずし字が多く、すべて判読するのが大変な作業でしょうからね、想像するだけで身震いです(笑)。
表現力豊かな地図には、こちらの想像力に訴えかけてくるような、その時代やそこに生きた人々の息遣いが宿っているのを感じます。昭文社も多様な種類の地図をご専門で出版されていらっしゃいますが、きっと見る人、使い方によってそこに感じる息吹や風景は様々なのではないでしょうか。地図とは昔から、制作者、読者、生活者の想いが交差する、その道の案内図なのかもしれませんね。現代の地図制作を担っていらっしゃる昭文社のみなさんと今日お話をして、あらためてそのように感じました。

昭文社の感想〜麹町の古に想いを馳せる〜

江戸後期であれば地図の町と呼んでも過言はない「麹町」という場所に本社があるということを、これまでことさらに意識したことはなかったのですが、麹町四丁目にある千代田区の案内看板で「尾張屋」の存在を知り、それをテーマに駅の看板を制作して以来、この地に綿々と繋がる地図文化の豊かさについて考えるようになりました。番町・麹町という地域が江戸随一の繁華街であったことや、武士と商人が入り交じりそれぞれとても闊達に活動していた特徴的な町であったことなど、知れば知るほど興味深く感じます。
岩橋さんご夫妻のお話では、江戸切絵図の中でも昭文社の界隈である「番町絵図」と「外桜田永田町絵図」(麹町)は、重版されている数も多いそうですね。「番町」は12回、「外桜田」は8回もしています。
岩橋さんが作成した尾張屋版の切絵図板行一覧表を見ると、嘉永二年から八年かけてたてつづけに28図を発行した様子が分かります。数がそろっていく段階で何度かセット販売を繰り返したらしいことなどもお聞きし、当時の “地図屋„ が何を考え、何を行っていたか、まるで “尾張屋の商品開発会議„ に出席したかのような気分になってすっかりオーバーラップしてしまいました。「尾張屋」が明らかにビジネスとして戦略的に地図を制作販売し再版していたことが分かり、「江戸の当時も新刊再版スケジュール表を前にして、読者のニーズや市場の動きを議題にしたりしていたのではないだろうか」などと想像すると楽しみは尽きません。
28図そろった後6年も経ったところで、利用者からの要望があってか、日本橋の南側を三分割した詳細図3図と新宿方面の計4図を追加制作して全32図の板行は終了しています。その四年後に時代は明治を迎えるわけですが、明治元年から三年までにほとんどの絵図の重版を一斉にかけ(35回くらいだそうですが)、突然尾張屋と江戸切絵図は歴史の表舞台から去ってしまいます。江戸を代表する地図出版社を巡る物語に、激動の時代のダイナミズムをひしひしと感じました。

昭文社の感想〜地図とものづくり〜

岩橋さんご夫妻に実際にお会いしてお話を伺いすることができ、あらためてものづくりに対する真摯な姿勢を学ぶことができたような気がします。手と足でつくりあげる “ほんとうの仕事„ がそこにあるようにも感じて身が引き締まる思いです。
復刻の編集作業を終えたお二人は次に用紙の選択、和紙風の柔らかくて、折りを重ねても角切れに耐えられる、原図に近い印刷効果の出る用紙の選択と試し刷り。
最後の製本段階では、広げたときのサイズが違う絵図を同じサイズに折り畳む折り方と表紙の貼り位置を確認するため再度国会図書館を訪ね、オリジナル絵図を閲覧して数種類の折り方があることをメモしてきてその通りの折りに仕上げてた事など、復刻版発行までのたくさんのお話をお聞きしました。
江戸の当時の地図づくりに関わった人々への敬意と称賛が、岩橋さんご夫妻をそこまでのこだわりに駆り立てているのだと思います。
高度な技術を追求しながら、どこか愛嬌を感じさせる独自の美意識に貫かれた江戸切絵図。地図という “創意工夫„ の結晶のようなメディアの根源的な可能性を今回あらためて教わった気がします。



『“麹町、150年前からずっと地図の町„ Vol.1』


おてつ牡丹餅
紀州和歌山藩の勤番侍・酒井伴四郎が、江戸での単身赴任中に記した日記帳から江戸グルメを再現した「幕末単身赴任 下級武士の食日記」(NHK出版 生活人新書)でも伴四郎の好物として登場する「おてつ牡丹餅」。美人の看板娘お鉄さんの姿見たさに、道場稽古の旗本子弟が熱心に通ったという微笑ましい逸話も有名。もちろん「新板大江戸名物双六(嘉永5)※」にも描かれる(「麹町おてつ牡丹餅」)まごうことなき江戸の銘菓です。
そしてなんとこの「おてつ牡丹餅」、昭文社本社から徒歩数分の場所にある洋食店「青山からす亭」さんで再現販売されているのです。 乳製品や卵を使わないマクロビオティックという調理法でつくられた現代の「おてつ牡丹餅」。対談の際にお茶請けとして味わっていただいたのですが、岩橋正子さんの感想は「米の粒が残っていて食感がしっかり。それでいてさっぱりした味。とてもおいしい。」とのこと。予約注文ということですので、ご興味のあるかたは「洋食 青山からす亭」さんにお問い合わせしてみてはいかがでしょうか。
※参考:国立国会図書館のデジタル化資料:新板大江戸名物双六



『“麹町、150年前からずっと地図の町„ Vol.1』



【岩橋美術】
平成2年(1990)美術書を中心とした出版物の編集・制作工房としてスタート。企画から文章構成、写真撮影、編集、レイアウト、印刷、製本まで、書籍制作の全てを引き受ける。平成16年7月、自社企画の復刻「江戸切絵図 全32図」を刊行開始、平成19年1月無事完結。多くの江戸研究家、時代小説愛好家から高い評価を得ており現在も全図発売中。
URL:http://www.iwabi.jp/

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