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2016年1月1日、人力のみで日本2百名山をひと筆書きでつなぐ「日本2百名山ひと筆書き」プロジェクト(総距離8000km!)を達成された田中陽希さん。今回は、そんな田中さんのロングインタビューを計5回にわたってお届けします。 第1回から第3回では、2百名山チャレンジの振り返りから、その道中での苦悩や支援者の方々への思い、チャレンジ始動までの裏話を、第4回、第5回ではご自身が「自分の本質だ」と語るアドベンチャーレーサーとしての姿やその背景、活動についてお話しいただきました。旅人として、アドベンチャーレーサーとして、2つの顔に一貫して窺えるのは、「挑戦し続ける」ことへの思いと、その強さでした。
 

このページには、第1回のインタビューが表示されています。
途中から読みたい場合は、下の目次から読みたい回をクリック!

 1983年生まれ。富良野の大自然での生活に憧れた父の一言によって、家族で北海道富良野市に移住。一年の大部分を雪とともに過ごす内にクロスカントリースキーに没頭する。明治大学に進学後もスキー部で活動し、インターカレッジで7位入賞。大学卒業後、体育教員を目指す傍らアドベンチャーレースと出合い、冒険へと人生の方向転換を図る。現在、群馬県みなかみ町に拠点を置き、国内唯一のプロアドベンチャーレースチームであるTeam EASTWINDの主力メンバーとして活躍中。 2014年10月26日、日本百名山を人力のみで走破する「日本百名山ひと筆書き」7800kmの旅を208日と11時間で達成。2016年元旦には、北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬まで「日本2百名山ひと筆書き」8000㎞の旅を222日で達成。前人未到の挑戦を成し遂げる。
●チャレンジの全貌はコチラから




 


 


 


 

 

2015年5月25日、日の出とともにスタート地点の宗谷岬を出発してから222日。2016年1月1日、約8000kmにも及ぶ道のりを人力のみで踏破した田中陽希さん。昭文社は、「日本百名山ひと筆書き」プロジェクトの時から『山と高原地図』と『ツーリングマップル』をご提供させていただくとともに、SNSなどを通じてこの挑戦を追い続けてきました。
今回は、前人未到の挑戦を成し遂げた田中さんに、2百名山チャレンジの思い出を振り返っていただくとともに、挑戦し続けるその思いについてお話を伺いました。

  
-百名山に続き、人力のみで日本2百名山をひと筆書きでつなぐプロジェクト「日本2百名山ひと筆書き」の踏破、おめでとうございます!今回のチャレンジをあらためて振り返っての感想をお聞かせいただけますか?
ありがとうございます。2百名山のチャレンジを今改めて振り返ると…やっぱり、「長かったなー!」という思いです(笑)。百名山と比べると約13日の違いですが、印象としてはそれよりもずっと長く感じましたね。

-距離も200km近く長い道のりでしたものね。ちなみに、達成された瞬間というのはどんなお気持ちだったのでしょうか?「長かったチャレンジが、やっと終わったー!」という感じでしょうか?
実は、終わったその瞬間に感じたことは「ああ、終わってしまったな」という寂しさのような気持ちでした。そんな気持ちになったのは初めてのことで、自分でも不思議な感覚でしたね。もちろん「やった!」という達成感や、「やっと終わった、長かった」という思いもあったのですが、一言では言い表せない、複雑な感覚です。
5月から200日以上のチャレンジの間、人力だけで移動し、その時間の多くを山の中、ときにはほとんど人の手の入っていないような場所で過ごしていましたから、僕の心や身体にとってはそちらが「普通」の状態になっていたと思うんです。でも、チャレンジが終わった今この瞬間から、僕はまた街に戻り、車にも乗り、文明の中で生活に慣れていく。やがて、今度はそちらが「普通」になっていく。そのターニングポイントに自分は今まさに立っているんだな、という感慨といいますか…でもそれはやっぱり、寂しさというんでしょうね。
ゴールしてから2時間くらい、山頂で一人で夕日を見ていたのですが、その間にも、いろいろな思いが去来しました。自分自身の人生のこと、道中に出会った方々のこと、旅するということ、そして山や自然のこと…空の色が変わるのを眺めながらとりとめもなく考えていました。そうして、家に帰るために佐多岬から立ち去るときには、自然と「すぐにでも次の旅に出たい」と感じている自分がいましたね。寂しさ、そして次の旅への思い。その2つの感覚は、百名山を踏破した直後にはなかったものだと思います。

-終わってすぐに、もう次の旅を…というのはすごいですね!それくらい、これまでにはない旅だったということでしょうか。他にも、百名山との相違点について聞かせてください。
2百名山は、まずコースからして、一筋縄ではいかないなと感じていました。計画の段階で、かなり紆余曲折の道のりになることは想定できていましたからね。でも、実際は想定よりはるかに困難な場面が多々ありました。
山自体の険しさもさることながら、そもそも登山道がない、登山道自体はあるけれど、そこまでのアプローチに時間がかかる、など登山するまでの移動に苦労することもありましたし、そもそも百名山よりも登山者の絶対数が少ないため、情報も少なく、事前に想定していたルートが使えずに時間をロスしてしまうこともありました。ネットなどにアップされている情報も、アプローチや難易度、ルートによってどんどん少なくなるので、地図ではわからない薮や倒木、地形の変化によって道を阻まれることも少なくありませんでした。
また、百名山のときには縦走して稜線歩きをすることもできた日本アルプスも、2百名山では逆に、すぐそこに登るべき山が見えているのに一旦下山しなければならない、という場合もありましたから、心情的には余計に長く感じたのかもしれません。


スタート前の予定ルート図(クリックで拡大)
※旅の最中で変更しているところもあります。

もう一つ大きな相違点としては、時間の使い方がかなり違ったということが挙げられますね。
百名山のときには、1日10時間の活動時間のうち純粋な移動には約8時間を費やし、残り2時間は自然と向き合ったり、山の中で静かに過ごしたり、ちょっと寄り道をしたり、といった一人の時間でした。対して、今回はその時間の大部分を、応援してくださる方々とのコミュニケーションに充てることになりました。
 
-百名山のときから、田中さんを応援しに来る方々の数は少しずつ増えていっていましたよね。NHK BSプレミアムで放送の「グレートトラバース2~日本二百名山一筆書き踏破~」の放送もあり、百名山チャレンジ開始当初から比べると、田中さんご自身やチャレンジについての認知度はぐんと上がったと思いますが、その影響も感じられましたか?
そうですね。百名山のときも道中で出会った方々とのコミュニケーションはありましたが、今回はその頻度が全く違いました。百名山は「自然と向き合う旅」でしたが、2百名山は結果として、「人と向き合う旅」になったと感じています。

チャレンジ期間を通じて、のべ1万人以上の方とお会いし、コミュニケーションしたと思います。そのほとんどが2百名山チャレンジのことをご存じで、僕のことを応援してくださっている方でした。自分のことを知ってくださっている方にこんなにもたくさんお会いするというのは人生でも初めてのことです。本当にありがたく、すごい体験をしたな、と思います。とはいえ、最初はそのことに対する戸惑いもありました。

-応援に駆けつけた方々とのコミュニケーションについてはTV番組内やブログなどでもいろいろと取り上げられていましたよね。2百名山もそもそも自然とさらに向き合うための旅だったわけですから、戸惑われたのも当然と思います。
応援していただけるのは本当にありがたいことで、できることなら立ち止まり、帽子を取って一人ひとりと言葉を交わしたいと思っていました。しかし、先を急がなければならない状況のなかでは立ち止まってご挨拶をすることができなかったり、ケガや体調の影響から笑顔で接することができなかったりと、今思えば反省することがたくさんあります。それに、応援してくださる方々とコミュニケーションをとりたい一方で、百名山のときのように山や自然ともっと向き合う時間をつくりたいという思いもありました。序盤、北海道から東北あたりまではずっと、そういった相反する思いを抱えていました。

-2015年6月の時点で応援してくださる方々に向けたメッセージも発信しておられますよね。それに、田中さんに話しかけるのに夢中で、事故寸前という出来事もあったとか。
そうですね、ときには話に熱中してしまって周りが見えなくなってしまうということもあると思いますし、安全な場所であれば問題ないのですが…。山道の途中や山頂、トンネルや交通量の多い場所などでそのようなことがあると、相手の方、僕自身、そして周囲の方にとって、重大な事故やケガにつながりかねません。また、天候が不安定な中、山頂で長時間僕の到着を待っていたという声などを聞くと、嬉しいという気持ちよりも「もしものことがあったら」という心配が尽きませんでした。サインや写真撮影も、数人であればたいした時間ではなくても、20人、30人となれば長時間です。天候によって山中で長時間過ごすのは危険だと感じた場合や、今日中にこれだけ進まなければ宿にたどり着けない、といったタイムスケジュールで先を急いでいる場合は、そういったご要望を、心苦しいですがお断りせざるを得ませんでした。
応援してくださる方々、駆けつけてくださる方々に向けてどう発信すれば良いかは悩みましたが、事務局とも相談し、最終的にはWEBサイト上にコメントを出してもらいました。あとは状況や体力、天候などを考慮しながら、自分のできる限りで交流をさせていただくことにしました。ですが、しばらくは「これでいいのだろうか、自分はどうするべきなんだろうか」という悩みを抱えたままの道のりが続きました。

 


 
 
 

 

2百名山チャレンジの道中、なんとのべ1万人以上の方とお会いし、コミュニケーションしたという田中さん。自身の想像を超える数の応援者の方々との交流について、嬉しさの一方で戸惑い、悩みもあったといいます。「しっかりお話しする時間を取りたい」と思う一方で、チャレンジのスケジュールをコントロールできないことへの焦り、プライベートな時間が取れないことによる疲労、そして事故寸前という出来事…。「これでいいのだろうか、自分はどうするべきなんだろうか」という思いを抱いたままの道中に、ある転機が訪れます。

 

-応援してくださる方々が山道や山頂で待っているとか、歩いているコースにやってくるというのは、やはりGPSをつけて、リアルタイムで居場所を発信しているからこその悩みですよね。「今ここにいるんだ、会いに行ってみようかな」と感じる方も多かったのだと思います。
GPSで情報を発信することでチャレンジを身近に感じていただけることは嬉しいことでもある反面、街中と違って山という場所ではときには危険な場合もあるということは痛感しました。山頂での待機もそうですし、差し入れなどについてもそうです。
実は、2百名山に出発する前からGPSを外してはどうか、という話は出ていました。でも、そこで僕自身が「GPSはつけたままやります」と言っていたんです。百名山が報道されたことで自分自身も、2百名山チャレンジも認知度が上がったことは自覚していましたが、それでもGPSをつけて、リアルタイムにやることに意味がある、と思っていました。けれど、実際に応援しに駆けつけてくださる方がこんなに多いというのは予想外でしたね。悩みながら進む中で、NHKの撮影クルーから「陽希さん、少し近寄りがたい顔になっていますよ。やっぱりGPSは外したほうがいいんじゃないですか?」と言われたんです。

-以前昭文社でインタビューさせていただいたときも、「自分がやりたいことをただ思いっきりやっているだけなのに、こんなにも応援してくださる方がいるんだとびっくりした」というようなことをお話しいただいていましたね。
そうですね。それまではまだ、このチャレンジは「自分の旅」だという思いが強かったのだと思います。自分の時間が取れない、自分の思うように進めない…ということを歯痒く感じてしまっていた。ですから、自分でも気づかないうちに「近寄りがたい顔」になってしまっていたんでしょうね。
でも、その言葉で我に返ったというか、このチャレンジの本来の目的や意味をもう一度思い出すことができました。
思い返せば、そもそも百名山も2百名山も、僕一人ではチャレンジすることさえもできなかった挑戦です。僕の背中を押してくれたたくさんの仲間たちやスタッフ、協賛企業、そしてWEBやTVを通して僕を応援してくださるみなさんのご協力があって初めて、今僕はこのチャレンジができている。GPSをつけたままやる、というのは、そういった方々へのご報告という意味もありました。
それに、実際に会いに来てくださる方というのは、僕を応援してくださる方々の中でもごく一部なんだということにも思い至りました。僕のチャレンジを支えてくださっている方の多くは、WEBやTVの向こうで、GPSでの位置情報を通して僕の挑戦を見守ってくれているはずです。「このチャレンジは、決して僕一人の旅ではない。だから、応援してくださっているすべての方に向けての発信であるGPSはやっぱり外してはいけない」。そう考えると、それまで思い悩んでいたところからふっと抜け出すことができたように思います。

 

-すべて人力による一筆書き、というすごくアナログなことをしている一方で、GPSという最新技術を使いながら、TV放送やインターネットを通じてそれを発信しているというのは、すごく面白いことですよね。発信している側からではなかなか見えないけれど、それがあったからこそ日本各地から、多くの方が田中さんの挑戦を見守り、応援してくださっていたんですよね。
それまでは、百名山のときとの違いや道のりの険しさも手伝って、自分の思うように旅を進められない焦りから余裕が無くなってしまっていたのだと思います。けれど、応援してくださっている方々も一緒に旅をしてくれているんだと思うようになってからは随分気持ちが楽になりましたし、いろいろなことを楽しめるようになりましたよ。
たとえば、「応援してるよ、しっかりね、がんばって!」と声をかけられたすぐあとに、別の方から「もう頑張らなくていいから、自分のペースで、ゆっくりね」と声をかけられるということもありました(笑)。どちらも僕を応援してくださっているという気持ちは同じなんですが、言葉は真逆ですよね。余裕がない状態なら、それだけのことで、もやもやと悩んでしまっていたでしょう。でも、僕がそこから受け取るべきなのは、その「応援してくださっている」という気持ちだけでいいんだと思うことができるようになりました。応援してくださる方々の言葉の裏側には、一人ひとりの考え方や人生が詰まっていて、いろんな思いで僕のことや、僕の挑戦のことを応援してくださっている。それに気づくと、どんな言葉でもありがたいと素直に思うことができました。

 


 
 
 

自らの居場所をリアルタイムで発信するGPSを外すか否か…悩み抜いた旅の途中で「2百名山は、自分一人の旅ではない」と素直に思えた、気持ちが楽になったと話す田中さん。自分一人ではチャレンジすること自体難しかったというほど、前例のないすごいチャレンジだったんですね。そして、その裏側には、たくさんの人の力や支援があったということなのですが…今回はそんな田中さんのチャレンジを支えた支援者のみなさんについてのお話を伺いました。
 

-多くの支援者に支えられての踏破だったというお話が出ましたが、支援団体、協賛企業の存在についてもお話しいただけますでしょうか。
本当に、百名山も2百名山も、多くの方々の支援を得て、初めて達成できたチャレンジだと思っています。今でこそたくさんの方に知っていただいているこのチャレンジですが、最初は本当に僕一人の小さな野望だったんですから、すごいものですよね。
実はこの企画を思いついて、一番初めに相談をした相手は、カッパCLUBの小橋前社長なんです。

-カッパCLUBというと、田中さんが所属されている群馬県みなかみ町のアウトドアツアーカンパニーですね。
小橋前社長は無類の大自然好き、アウトドア好きの方でした。人力のみで百名山にチャレンジしたいと言うと、「それはいい、ぜひやるべきだ」と言ってくれました。「誰かがもうやっていたらつまらないからな」と、同じ挑戦をしている人がいないかどうかもすぐに調べ始めるように指示してくれましたし、挑戦のために会社を長く休むことになってしまうことについても快く承諾してくれました。この方がいなかったらこのチャレンジは始まらなかったと言っても過言ではありません。小橋前社長は僕が百名山に出発する前に亡くなられたのですが、チャレンジをとても楽しみにしてくれていて、「みなかみの谷川岳に来たときには、ぜひ一緒に登ろう」と言ってくれていました。だから、百名山チャレンジで谷川岳に登頂したときには感きわまるものがありましたね。カッパCLUBは今も僕の良き理解者であり、ここでの経験が今の僕を作っているのだと思っています。
小橋前社長の次にチャレンジの話をしたのが、僕が所属するアドベンチャーレースチームEAST WINDを擁するイーストウインド・プロダクションの田中正人代表です。今、自分がアドベンチャーレーサーとして活動できているのも、田中正人代表が22年前に日本で初めてアドベンチャーレーサーとして独り立ちして、日本のアドベンチャーレースを引っ張ってきてくれたからこそだと思っています。そのおかげで僕がEAST WINDのことを知り、その門を叩くことができたのですから、本当に恩人といえる存在ですね。
ここでもすぐに「ぜひやりなさい」と言っていただけました。また、「そんなに大きな挑戦をするのだから、メディアをつけた方がいい」というアドバイスも受けました。そこから、本格的にこのチャレンジが始動したんです。

-そのお二人の「ぜひやりなさい」という言葉で、この百名山、2百名山チャレンジが動き始めたんですね。そこから、ハタケスタジオやNHKの取材が入るまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
やると決めて動き出してからは、人とのつながりや紹介でどんどんと協力してくださる方に出会うことができました。今思い返しても、本当に周囲に恵まれていたと思います。
ハタケスタジオもNHKも、実はどちらもゴールドウインの方からご紹介いただいたんです。ゴールドウインとはもう長い付き合いで、いつも旅に欠かせない装備を提供していただいているだけでなく、色々な方をご紹介いただいたり、斡旋していただいたりと、チャレンジの企画段階から最大限バックアップしていただいていて、本当に感謝しています。
「チャレンジを成功させるにはまずサポート事務局がないといけないね」ということで、ゴールドウイン経由でハタケスタジオの若月前社長をご紹介いただきました。チャレンジについての説明をしたところ、若月前社長が「ぜひ一緒にやりましょう」と言ってくださり、ハタケスタジオのみなさんもそれについてきてくださいました。それからは、まだ大きな実績もない僕のチャレンジを実現させるために、ほうぼう奔走してくださって、計画から実際のチャレンジの最中まで、あらゆる面でサポートをしてくださいました。今ではみんな家族のような存在だと思っていますし、ハタケスタジオがなければこのチャレンジは実現していなかったでしょう。チャレンジを通して一番の支えであり、僕の最大の支援者です。

-今とは全く違う状況のなかから、ずっと一緒に歩んでこられたんですね。では、NHKの撮影班についてはいかがでしょうか?
NHK撮影班のみなさんとの関わり方は、ハタケスタジオとは真逆と言っていいかもしれません。チャレンジの道中、最も近くにはいますが、あくまでも第三者であり、仲間ではない。と言ってもネガティブな意味ではなく、自分たちは黒子というか、いないものに徹して、僕の挑戦を一番近くで見届けてくれている存在でした。困難な道でも手を貸し合ったりはしないのですが、同じ道のりを共有した同志ですし、旅を離れれば友人でもあります。
彼らは番組制作が仕事ですから、そのために必要な意見交換はもちろん行いますし、必要に応じて撮影に協力する場合もあります。カメラを通しているからこその客観的な意見に気づかされることもありました。彼らの細やかな配慮のおかげで、撮影されながらでも、それを気にせずにチャレンジをすることができました。

-チャレンジのサポートというと、TVやSNSを見ていておなじみの面々もいますよね。
百名山、2百名山を通じておなじみというと、やはりシーカヤックに乗る場面でしょうか。チャレンジは登山だけでなく人力による海峡横断という側面もありましたから、シーカヤックを使って海を渡る、という場面での注目度も高かったと思います。カヤックを持ったまま登山をするのはもちろん難しいので(笑)、カヤックを現地でお借りしたり、渡った先でまた回収していただいたりといった直接的なサポートをお願いする場面もありました。地元北海道では富良野にいる両親に内浦湾(噴火湾)横断、津軽海峡横断でのシーカヤック運搬をサポートしてもらいました。その他にも日本各地で地元のシーカヤックビルダーの方や、ガイドさん、カヤックオーナーさんなどの力を借りることができましたが、これも本当に人から人へ繋いでいただいた縁のおかげだなと思います。人と人の繋がりというのは本当に面白くて、ずっと困難だと思っていたことを、思わぬきっかけで繋がった方に解決していただけた、ということもしばしばです。その分、僕からもしっかり恩返しをしていかなくてはと感じますし、一度できた縁は切ってはいけないなと感じます。

-ご縁ということで言えば、東洋医学のひとつである腱引き療法の先生たちのネットワークによるサポートもすごかったですね。
百名山チャレンジの最中に、僕の昔からの知り合いづてに出会った、ひとりの腱引き師の方に身体のメンテナンスをしていただいたんです。その方にはそれをきっかけにずっと親切にしていただいていて、僕が2百名山チャレンジを行うと知ると、全国の腱引き師の方に呼びかけをしてくださったんです。「身体に不調を感じたら連絡しなさい。地元の腱引き師がすぐに飛んでいくから」と言っていただいたのですが、チャレンジの道中、東北から九州まで本当に様々な場所で、地元や近隣の腱引き師の方々に体のメンテナンスをしていただくことができました。どの方もご自分のお仕事もある中わざわざ宿泊場所まで駆けつけてくださり、身体の状態を見ながら施術をしてくださいました。初めてお会いする方ばかりでしたが、僕の身体と向き合って真摯にサポートしてくださる気持ちは本当に嬉しかったですね。施術自体は痛いんですが、2日後くらいからは「効いてきたな」と実感できるので、安心して任せられます。先生たちには「こんなに身体を酷使しているのだから痛いのは当たり前だよ」と言われますが、本当に痛いんですよ!効きますけどね(笑)。

今回は、公式twitterアカウントの「中の人」のひとりでもある広報担当の竹内が取材に同行。特別に対談の場を設けさせていただきました!


田中さんに対面して、自然と笑顔が溢れる竹内

-こんにちは、昭文社広報担当の竹内です。この度は2百名山踏破おめでとうございます!
ありがとうございます!と言っても、竹内さんとはもう何度もお会いしていますよね(笑)。今日は僕のデザインした2百名山Tシャツも着てきていただいて、ありがとうございます。

  
2百名山応援Tシャツは竹内の私物

-公私ともにお会いさせていただいていますね(笑)。そもそもの関わりでいえば、百名山チャレンジに『山と高原地図』『ツーリングマップル』の提供をさせていただくことになったのが始まりでしたね。元々は本当に地図でご協力させていただく、というだけの関係だったのですが、SNSなどで田中さんのチャレンジを見守るうち、私も含めいつの間にか昭文社スタッフみんなが田中さんを応援したくなってしまった、というのが正直なところなんですよ(笑)。

スタッフの方々は、百名山チャレンジの最中7月に行った丹沢での交流会にもいらしてくださいましたよね。そのときも昭文社としてではなく、プライベートで来てくださったということで、驚きました。

  
大盛況だった丹沢の交流会。りんごさんも一緒に!

-有志でぜひ行こうという話になって、お伺いさせていただきました。昭文社スタッフにはもともと旅好き、アウトドア好きがすごく多いんですが、田中さんのチャレンジに感銘を受けて登山を始めた、というスタッフもいるんですよ。
それは嬉しいですね!当日いらしてくださったスタッフのお一人は、前日にハーフマラソンを走っておられたとか。相当パワフルな方々が揃っておられるんだな、と感じましたよ。

-登山中にお会いしたことがある、というスタッフもいますし、TVやSNSを通じて応援している、という社員もたくさんいます。チャレンジの最中は、田中さん好きが顔をあわせると「今どこにいるんだっけ?」「天気が悪いみたいだけど大丈夫かな?」「知人がちょうど同じ日程で登山に行くらしい、羨ましい!」なんて会話をしていました(笑)。
まさにチャレンジの最中に僕が感じていた、姿は見えなくても応援してくださっている方々ですね!そういったお声をいただけるととても嬉しいです。

昭文社のtwitter にもご登場いただきました

-社内でもそんな調子でしたから、インターネット上ではもっとたくさんの「田中さんウォッチャー」の存在を感じていました。昭文社の公式twitterアカウントやfacebookアカウントで田中さんに関連した情報を出すと、すぐに拡散されたり、コメントがついたりしていましたから、側から見ると大変な影響力をお持ちだと感じていました。
そう言っていただけるとありがたいですね。実際にチャレンジをしている最中はSNS、特にtwitterはほとんどチェックしていなかったんです。スピードが速いツールですし、数が膨大なので目を通すのが難しくて。facebookは定期的にチェックするようにはしていたのですが、それでも1日に一度とか、それくらいの頻度です。ですから、SNS上で自分がどんな風に見られている、書かれているかというのは、チャレンジが終わって初めて知ったことも多かったです。

- GPSの軌跡を見ていると、自分自身も田中さんと一緒に旅をしているような気持ちになれるよね、という意見は多かったと思いますよ。私自身もまさにそうでした。
ときには自分にはとても歩けそうにない過酷な道のりだなぁと思いつつも(笑)、連れて行っていただいているような感覚でした。

客観的にどう見えていたのか、というのはこれから少しずつチェックしていこうと思っています。元日に2百名山を終えたあとはすぐにアドベンチャーレースの調整に入りましたから、SNSでの発信内容や、TV放送の内容などはしっかり見ることができていない部分もあるんですよね。そこから発見できることも色々とありそうで、楽しみにしています。昭文社さんとのtwitter上での絡みも、これからゆっくり見させていただきますよ。
- ありがとうございます!2百名山チャレンジを振り返られる際の一助になればと思います。

 

 


 
 
 

 

多くの困難がありながらも、様々な支援や応援者の方々に見守られ踏破した2百名山チャレンジ。しかし、実はその直後から、田中さんの次の挑戦ははじまっていたのです。それは、旅人ではなくアドベンチャーレーサーとしてのチャレンジ。南米チリ・パタゴニアで繰り広げられる世界で最も過酷なアドベンチャーレース、パタゴニアン・エクスペディション・レース2016への参加でした。今回は普段なかなか知ることのないアドベンチャーレーサーとしての田中さんの姿と、その挑戦について、また日常や登山にすぐに活かすことのできる地図活用のテクニックについても教えていただきました!

-2百名山チャレンジを終えられてすぐ、田中さんはアドベンチャーレーサーとしてパタゴニアン・エクスペディション・レース2016に挑戦されていますよね。田中さんを旅人としてしか知らない方もいらっしゃるかと思いますので、アドベンチャーレーサーとしてのキャリアを少しお話しいただけますでしょうか。
僕は大学を卒業後、教職を目指して勉強、就職活動をしていたのですが、その最中にアドベンチャーレースの世界を知り、現在所属しているTeam EAST WINDの門を叩きました。それが2006年の11月のことですね。所属の条件はハセツネ(日本山岳耐久レース:長谷川恒男カップ)完走が必須ということだったので、まずそれに出場するところからスタートしました。完走し、面接を経て2007年にはトレーニング生(同期に先日のパタゴニアン・エクスペディション・レースのチームメイト山北道智氏=当時19歳)に、2008年4月には正規メンバーになりました。当時はリーダーの田中正人氏、宮内佐希子氏を合わせ3名が正規メンバーで、あとはレースにより随時メンバーを加えて国内外のレースに参加していましたが、2009年で宮内氏が抜け、現在は2名体制になっています。
正規メンバーになってからはアドベンチャーレースに、国内年間3~4戦、海外年間1~2戦のペースで出場していますが、国内では「圧倒的勝利」が絶対目標、海外では世界選手権とパタゴニアのレースでの優勝を主目標としています。
あまりご存じない方も多いと思うので簡単に説明しますと、アウトドアの複数種目を組み合わせるアドベンチャーレースは、4人一組(女性を1名入れる)で離れることなくまとまって移動していくレースです。トレッキング、MTB(自転車)、カヤックなどを何度か切り替えながら、1週間〜10日間くらいでゴールを目指すのですが、通信手段やGPSなどは緊急時を除き一切使用できないんです。ルート(ナビゲーション)や休息・睡眠、食料などすべてチームで相談し、戦略を立てるという過酷な競技です。
 
-パタゴニアン・エクスペディション・レース2016では2位ということで、こちらもおめでとうございます。
とはいえ優勝は逃してしまいましたが…。ただ、トラブルもあった中で全員でゴールできたという点では本当に良かったと思っています。
僕自身は、2百名山踏破からすぐということもあり準備が1カ月半しかできなかったこと、MTBに至っては丸2年乗っていないことなど、準備が間に合っていないという不安定な気持ちの中でレースを迎えました。しかし、久々のチームで、不安を共有・シェアできる、ということの楽しさ、喜びをあらためて感じることができましたし、こんな状況でも無事レースを完遂できたことは素直に嬉しかったです。
 
-レースそのものを振り返ると、トップ通過からまさかのトラブル…と波乱の展開でしたね。
スタート直前に地図を渡されて24時間の間に調べられる限りの情報を書き込むのですが、特にMTBではすべての道路や目印が記載されているわけではないので、とにかく現地で迷わないように特徴的な地形や分岐、またポイント毎の距離を計測し、現地で測った移動距離と照合することで位置を確認することに努めました。
今回は重要な役割であるナビゲーション(位置確認・経路選択)をキャプテン田中正人氏と僕の2人で担当したのですが、2人制の最も良い点は相互に補完しながら進むことで間違いを防げることですね。疲労してくると簡単なことでもミスが出ますから、2人の情報や判断を総合して進むことで確実にレースを進めることができたと思います。
種目を変更する場面をトランジットというのですが、ここでは装備の交換をできるだけ短い時間で行うことがアドベンチャーレースのカギとなります。いかに時間をロスしないかということが重要な競技ですからね。順調にトップに立っていた中、キャプテンの転倒とケガにより20時間以上停滞することになってしまい、その時間は心情的にも非常に厳しかったです。しかし、その後復帰を認められ、首位奪還には至りませんでしたが最後には全員でゴールに辿りつくことができましたし、順位も2位ということで、チーム全員にとって、次に活かしていける経験になったと思います。
 
-アドベンチャーレースと旅の違いや、共通点について教えてください。
最も大きな相違点は「競っているかどうか」、ということでしょうね。それによって気の持ち方や時間の使い方が全く変わってきます。逆に共通点は僕の大好きな自然の中を舞台にしているということですね。
僕にとってはレースも旅も、それぞれに違う魅力にあふれていて、人生をかけられる、夢中になれるものだと感じています。自分の好きなことに人生を費やせるというのはなかなかできることではないですし、それをさせていただけているという状況には、本当に感謝するばかりです。
 
-アドベンチャーレースと旅とは、田中さんの中で、それぞれどのような位置づけにあるのでしょうか。
やはり大前提として、僕はアドベンチャーレーサーである、と思っています。「アドベンチャーレーサーの田中陽希」の一部に、日本の隠された自然のすばらしさ、よさを味わい、みなさんにも共有してもらう旅にチャレンジする「旅人の田中陽希」があるということですね。アドベンチャーレースで培ったスキルや知識があるからこそ百名山、2百名山というこれまでに例のないチャレンジができましたし、それを達成することができたのだと思います。また、旅する時間そのものや、旅の中で得た経験によって自分自身が成長でき、それがレースにも活きる、という側面もあると思っています。
 
 

 


旅にもレースにも地図は不可欠

-過酷なレースや旅に挑むとき、地図はどのように活用してらっしゃるのでしょうか?
アドベンチャーレースでも旅でも、地図はとても重要な道具です。今回はアドベンチャーレースでも行っている、そして普段の旅でもぜひ実践していただきたい「タイムマネージメント」についてお話しします。
-「タイムマネージメント」というと…? 
アドベンチャーレースでの基本スタンスは「現場判断」です。事前に集めた情報を信じて、絶対その通りに行けば大丈夫、ということは基本ないと考えています。情報はあくまで参考、あとは現場で、道のコンディション、自分たちの体力や装備、そして経験で最適な方法を考え、判断する。これが「現場判断」です。さて、「タイムマネージメント」はその判断の最も大きな材料になるものです。僕が2百名山で実際に使った地図を見てください。
 


ポイントごとに所要時間が書き込まれている

-ところどころ時間がメモしてありますね!
これが「タイムマネージメント」です。ルートの要所で自分の移動時間を記録しておくんです。ガイドブックや地図には「ここからここまで何分」などの記載があるものもありますが、それはあくまでも目安。人にはそれぞれのタイムがありますから、それを自分で把握することが重要なんですよ。
 


「自分の体力を把握することが大切です!」

-地図に書いてある目安の時間と比べて、早い場合も遅い場合もありますものね。
その通りです。自分の体力を把握していない方は意外と多いんですよ。たとえば、まだいけると思って歩いているうちに、休憩所や宿泊場所から離れた場所で疲れて歩けなくなってしまうことがあります。山道登山では自分のペースや体力をしっかり把握することで、先の見通しを立てることができ、適切なタイミングで休息をとったり、宿泊プランを立てたりすることができるようになります。そのためにもタイムマネージメントをぜひ実践してほしいと思います。
-自分の体力や移動速度を把握すれば、無理のない計画を立てることができるんですね。
繰り返しになりますが、自分の体力や経験に合わせるということが何よりも大切なんです。情報はあくまで参考ですし、だれかと同じ装備だからといって絶対安心とは限りません。装備とスキルがイコールじゃないと意味がないんです。これを機会にまず自分のスキルをしっかり把握して、登山に活かしてみてほしいと思います。
 
-これなら、すぐにでも実践できそうですね。どうもありがとうございます!

 

 


 
 
 

 

百名山、2百名山、パタゴニアン・エクスペディション・レース2016と立て続けの挑戦を経て、田中さんの次なる挑戦とは…? 田中さんのこれからの展望や、旅、そしてチャレンジへの思いを語っていただきました。
また、この連載をご覧いただいたみなさまへ、百名山、2百名山チャレンジの事務局、ハタケスタジオへの潜入レポートをお届けいたします!普段見ることのできない田中さんのオフショットや、田中さんウォッチャーの方々にはおなじみの「あの光景」を公開中!ぜひ最後までご覧ください。

-百名山、2百名山、パタゴニアン・エクスペディション・レース2016と立て続けの挑戦を経て、これからはどのような活動を予定してらっしゃいますか?
今すぐにでも次の旅へ…と言いたいところですが、今後は講演活動などをしつつ、アドベンチャーレース活動に集中していくつもりです。直近での目標は、2016年11月の世界選手権ですね。
旅もレースも、挑戦し達成して得た結果は過去でしかありません。自分ではそれをすごいこととは思っていないし、自慢したいという思いもありません。むしろ、自分の力だけでできたことでは百名山、2百名山を旅した2年間は、アドベンチャーレーサーとしての活動としては空白ですが、僕の人生の中ではとても大きな経験でした。今後はそれを、アドベンチャーレーサーとしての自分にどう生かしていくか、ということを考えています。
 
-旅を通じて、多くのつながりが生まれたとおっしゃっておられましたが、そのつながりは今後どのように続いていくのでしょうか?
本当に、支援者のみなさん、応援してくださったみなさんとのつながりは僕の一生の財産だと思っています。少しの時間でも、顔を見て、言葉をかけてくださった方へも、直接はお会いできなかったけれど、応援してくださっていた方へも、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
僕としては、今後もずっと温かく見守っていただけると嬉しいです。今は一旦立ち止まっているように見えるかもしれませんが、しばしの充電期間であって、僕の日常はやはり挑戦の中にあるのだと思います。
やりたい挑戦はまだまだあります。この2年は山をテーマにしてきたので、今度は湖や海など島国としての日本のよさを広い目で見聞きするような旅をしてみたいですし、パドリングスポーツなど水上の旅や、もっとたくさんの人と向き合えるような人里を巡る旅もしてみたい。元日のゴールのあとに感じた「旅にまた出たい」という気持ちはまだ僕の胸の中にあります。また近いうちに、ひょっこりみなさんの前に現れるかもしれませんよ。
 
-読者のみなさんに向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
旅することは人生、生きることは挑戦そのものです。僕自身はこれからもいろいろなことに挑戦し続けたいと思っていますし、そのフィールドはきっと大好きな自然の中だと思います。今回、僕のインタビューを読んでいただいた読者のみなさんにも、ぜひ自分なりの挑戦にチャレンジしてみてほしいと思います。それは、誰かの真似でなくても構いません。自分がやってみたいと思っていたことを実際にやってみる。それだけで、大きな挑戦ですし、今までと違う何かを手に入れることができる経験だと信じています。
みなさんの挑戦を僕も応援しています!また、僕をどこかで見かけたときには、ぜひ応援よろしくお願いします。
 
 
最後に、田中陽希さんからコラム読者のみなさんへ動画でメッセージをいただきました!
 

田中さんの今後の挑戦や講演会のスケジュールはこちらから!

 

3月某日のよく晴れた日。コラム取材スタッフがやってきたのは…

  

大きな松の木が目印の一軒家。ガレージの方をのぞくと…

手書きの看板が!そう、ここがハタケスタジオなんです!

お庭も広—い!と、あそこにあるのは…

  

田中さんウォッチャーならわかる!?「あの」タライですね!

「そろそろお昼ごはんにしますよ~!」

  

声をかけられて中に入ると、キッチンではなんと田中さんが料理中!

  

「さぁ、座って座って!」昭文社の竹内も一緒に、いただきまーす!

わー!美味しそう!

「大所帯で、家族みたいでしょ(笑)」

ハタケスタジオでは持ち回りで料理をして、みんなで食べたりしているんですって。
みなさん楽しそうで、本当に家族みたいですね。
取材スタッフに手料理を振舞ってくださった田中さん、
ハタケスタジオのみなさん、
取材もお昼ご飯も、ありがとうございました!

 


 

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