
自らの居場所をリアルタイムで発信するGPSを外すか否か…悩み抜いた旅の途中で「2百名山は、自分一人の旅ではない」と素直に思えた、気持ちが楽になったと話す田中さん。自分一人ではチャレンジすること自体難しかったというほど、前例のないすごいチャレンジだったんですね。そして、その裏側には、たくさんの人の力や支援があったということなのですが…今回はそんな田中さんのチャレンジを支えた支援者のみなさんについてのお話を伺いました。


-多くの支援者に支えられての踏破だったというお話が出ましたが、支援団体、協賛企業の存在についてもお話しいただけますでしょうか。
本当に、百名山も2百名山も、多くの方々の支援を得て、初めて達成できたチャレンジだと思っています。今でこそたくさんの方に知っていただいているこのチャレンジですが、最初は本当に僕一人の小さな野望だったんですから、すごいものですよね。
実はこの企画を思いついて、一番初めに相談をした相手は、カッパCLUBの小橋前社長なんです。
-カッパCLUBというと、田中さんが所属されている群馬県みなかみ町のアウトドアツアーカンパニーですね。
小橋前社長は無類の大自然好き、アウトドア好きの方でした。人力のみで百名山にチャレンジしたいと言うと、「それはいい、ぜひやるべきだ」と言ってくれました。「誰かがもうやっていたらつまらないからな」と、同じ挑戦をしている人がいないかどうかもすぐに調べ始めるように指示してくれましたし、挑戦のために会社を長く休むことになってしまうことについても快く承諾してくれました。この方がいなかったらこのチャレンジは始まらなかったと言っても過言ではありません。小橋前社長は僕が百名山に出発する前に亡くなられたのですが、チャレンジをとても楽しみにしてくれていて、「みなかみの谷川岳に来たときには、ぜひ一緒に登ろう」と言ってくれていました。だから、百名山チャレンジで谷川岳に登頂したときには感きわまるものがありましたね。カッパCLUBは今も僕の良き理解者であり、ここでの経験が今の僕を作っているのだと思っています。
小橋前社長の次にチャレンジの話をしたのが、僕が所属するアドベンチャーレースチームEAST WINDを擁するイーストウインド・プロダクションの田中正人代表です。今、自分がアドベンチャーレーサーとして活動できているのも、田中正人代表が22年前に日本で初めてアドベンチャーレーサーとして独り立ちして、日本のアドベンチャーレースを引っ張ってきてくれたからこそだと思っています。そのおかげで僕がEAST WINDのことを知り、その門を叩くことができたのですから、本当に恩人といえる存在ですね。
ここでもすぐに「ぜひやりなさい」と言っていただけました。また、「そんなに大きな挑戦をするのだから、メディアをつけた方がいい」というアドバイスも受けました。そこから、本格的にこのチャレンジが始動したんです。
-そのお二人の「ぜひやりなさい」という言葉で、この百名山、2百名山チャレンジが動き始めたんですね。そこから、ハタケスタジオやNHKの取材が入るまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
やると決めて動き出してからは、人とのつながりや紹介でどんどんと協力してくださる方に出会うことができました。今思い返しても、本当に周囲に恵まれていたと思います。
ハタケスタジオもNHKも、実はどちらもゴールドウインの方からご紹介いただいたんです。ゴールドウインとはもう長い付き合いで、いつも旅に欠かせない装備を提供していただいているだけでなく、色々な方をご紹介いただいたり、斡旋していただいたりと、チャレンジの企画段階から最大限バックアップしていただいていて、本当に感謝しています。
「チャレンジを成功させるにはまずサポート事務局がないといけないね」ということで、ゴールドウイン経由でハタケスタジオの若月前社長をご紹介いただきました。チャレンジについての説明をしたところ、若月前社長が「ぜひ一緒にやりましょう」と言ってくださり、ハタケスタジオのみなさんもそれについてきてくださいました。それからは、まだ大きな実績もない僕のチャレンジを実現させるために、ほうぼう奔走してくださって、計画から実際のチャレンジの最中まで、あらゆる面でサポートをしてくださいました。今ではみんな家族のような存在だと思っていますし、ハタケスタジオがなければこのチャレンジは実現していなかったでしょう。チャレンジを通して一番の支えであり、僕の最大の支援者です。
-今とは全く違う状況のなかから、ずっと一緒に歩んでこられたんですね。では、NHKの撮影班についてはいかがでしょうか?
NHK撮影班のみなさんとの関わり方は、ハタケスタジオとは真逆と言っていいかもしれません。チャレンジの道中、最も近くにはいますが、あくまでも第三者であり、仲間ではない。と言ってもネガティブな意味ではなく、自分たちは黒子というか、いないものに徹して、僕の挑戦を一番近くで見届けてくれている存在でした。困難な道でも手を貸し合ったりはしないのですが、同じ道のりを共有した同志ですし、旅を離れれば友人でもあります。
彼らは番組制作が仕事ですから、そのために必要な意見交換はもちろん行いますし、必要に応じて撮影に協力する場合もあります。カメラを通しているからこその客観的な意見に気づかされることもありました。彼らの細やかな配慮のおかげで、撮影されながらでも、それを気にせずにチャレンジをすることができました。
-チャレンジのサポートというと、TVやSNSを見ていておなじみの面々もいますよね。
百名山、2百名山を通じておなじみというと、やはりシーカヤックに乗る場面でしょうか。チャレンジは登山だけでなく人力による海峡横断という側面もありましたから、シーカヤックを使って海を渡る、という場面での注目度も高かったと思います。カヤックを持ったまま登山をするのはもちろん難しいので(笑)、カヤックを現地でお借りしたり、渡った先でまた回収していただいたりといった直接的なサポートをお願いする場面もありました。地元北海道では富良野にいる両親に内浦湾(噴火湾)横断、津軽海峡横断でのシーカヤック運搬をサポートしてもらいました。その他にも日本各地で地元のシーカヤックビルダーの方や、ガイドさん、カヤックオーナーさんなどの力を借りることができましたが、これも本当に人から人へ繋いでいただいた縁のおかげだなと思います。人と人の繋がりというのは本当に面白くて、ずっと困難だと思っていたことを、思わぬきっかけで繋がった方に解決していただけた、ということもしばしばです。その分、僕からもしっかり恩返しをしていかなくてはと感じますし、一度できた縁は切ってはいけないなと感じます。
-ご縁ということで言えば、東洋医学のひとつである腱引き療法の先生たちのネットワークによるサポートもすごかったですね。
百名山チャレンジの最中に、僕の昔からの知り合いづてに出会った、ひとりの腱引き師の方に身体のメンテナンスをしていただいたんです。その方にはそれをきっかけにずっと親切にしていただいていて、僕が2百名山チャレンジを行うと知ると、全国の腱引き師の方に呼びかけをしてくださったんです。「身体に不調を感じたら連絡しなさい。地元の腱引き師がすぐに飛んでいくから」と言っていただいたのですが、チャレンジの道中、東北から九州まで本当に様々な場所で、地元や近隣の腱引き師の方々に体のメンテナンスをしていただくことができました。どの方もご自分のお仕事もある中わざわざ宿泊場所まで駆けつけてくださり、身体の状態を見ながら施術をしてくださいました。初めてお会いする方ばかりでしたが、僕の身体と向き合って真摯にサポートしてくださる気持ちは本当に嬉しかったですね。施術自体は痛いんですが、2日後くらいからは「効いてきたな」と実感できるので、安心して任せられます。先生たちには「こんなに身体を酷使しているのだから痛いのは当たり前だよ」と言われますが、本当に痛いんですよ!効きますけどね(笑)。

今回は、公式twitterアカウントの「中の人」のひとりでもある広報担当の竹内が取材に同行。特別に対談の場を設けさせていただきました!

田中さんに対面して、自然と笑顔が溢れる竹内
-こんにちは、昭文社広報担当の竹内です。この度は2百名山踏破おめでとうございます!
ありがとうございます!と言っても、竹内さんとはもう何度もお会いしていますよね(笑)。今日は僕のデザインした2百名山Tシャツも着てきていただいて、ありがとうございます。

2百名山応援Tシャツは竹内の私物
-公私ともにお会いさせていただいていますね(笑)。そもそもの関わりでいえば、百名山チャレンジに『山と高原地図』『ツーリングマップル』の提供をさせていただくことになったのが始まりでしたね。元々は本当に地図でご協力させていただく、というだけの関係だったのですが、SNSなどで田中さんのチャレンジを見守るうち、私も含めいつの間にか昭文社スタッフみんなが田中さんを応援したくなってしまった、というのが正直なところなんですよ(笑)。
スタッフの方々は、百名山チャレンジの最中7月に行った丹沢での交流会にもいらしてくださいましたよね。そのときも昭文社としてではなく、プライベートで来てくださったということで、驚きました。

大盛況だった丹沢の交流会。りんごさんも一緒に!
-有志でぜひ行こうという話になって、お伺いさせていただきました。昭文社スタッフにはもともと旅好き、アウトドア好きがすごく多いんですが、田中さんのチャレンジに感銘を受けて登山を始めた、というスタッフもいるんですよ。
それは嬉しいですね!当日いらしてくださったスタッフのお一人は、前日にハーフマラソンを走っておられたとか。相当パワフルな方々が揃っておられるんだな、と感じましたよ。
-登山中にお会いしたことがある、というスタッフもいますし、TVやSNSを通じて応援している、という社員もたくさんいます。チャレンジの最中は、田中さん好きが顔をあわせると「今どこにいるんだっけ?」「天気が悪いみたいだけど大丈夫かな?」「知人がちょうど同じ日程で登山に行くらしい、羨ましい!」なんて会話をしていました(笑)。
まさにチャレンジの最中に僕が感じていた、姿は見えなくても応援してくださっている方々ですね!そういったお声をいただけるととても嬉しいです。

昭文社のtwitter にもご登場いただきました
-社内でもそんな調子でしたから、インターネット上ではもっとたくさんの「田中さんウォッチャー」の存在を感じていました。昭文社の公式twitterアカウントやfacebookアカウントで田中さんに関連した情報を出すと、すぐに拡散されたり、コメントがついたりしていましたから、側から見ると大変な影響力をお持ちだと感じていました。
そう言っていただけるとありがたいですね。実際にチャレンジをしている最中はSNS、特にtwitterはほとんどチェックしていなかったんです。スピードが速いツールですし、数が膨大なので目を通すのが難しくて。facebookは定期的にチェックするようにはしていたのですが、それでも1日に一度とか、それくらいの頻度です。ですから、SNS上で自分がどんな風に見られている、書かれているかというのは、チャレンジが終わって初めて知ったことも多かったです。
- GPSの軌跡を見ていると、自分自身も田中さんと一緒に旅をしているような気持ちになれるよね、という意見は多かったと思いますよ。私自身もまさにそうでした。
ときには自分にはとても歩けそうにない過酷な道のりだなぁと思いつつも(笑)、連れて行っていただいているような感覚でした。
客観的にどう見えていたのか、というのはこれから少しずつチェックしていこうと思っています。元日に2百名山を終えたあとはすぐにアドベンチャーレースの調整に入りましたから、SNSでの発信内容や、TV放送の内容などはしっかり見ることができていない部分もあるんですよね。そこから発見できることも色々とありそうで、楽しみにしています。昭文社さんとのtwitter上での絡みも、これからゆっくり見させていただきますよ。
- ありがとうございます!2百名山チャレンジを振り返られる際の一助になればと思います。