2018年、「自転車で世界一周」という壮大な旅へと踏み出した一人の日本人男性がいます。名前は友竹亮介さん。かつてメーカー営業や英語教員として働いていた彼が選んだのは、まさに地球規模の挑戦でした。
アジア、ヨーロッパを経てアフリカ縦断という1年半の旅の末、一時帰国した友竹さん。しかし、その直後に訪れたコロナ禍によって再び出発することが難しくなってしまいました。そんな中でも旅行記を出版し、全国の学校で講演を行ううちに、子どもたちの声に背中を押されて再出発を決意したといいます。その経緯については前回のコラムでご紹介しました。
そして2024年春、友竹さんはまだ寒さの厳しいアラスカから、再びペダルを踏み出しました。目指すは地球の裏側、アルゼンチン最南端です。
世界地図の提供という形でサポートさせていただいている当社の広報担当が、そんな友竹さんに直接お話を伺いました。約1年におよぶアメリカ大陸縦断の軌跡や、世界一周を達成したときの思い、そしてその先に描く夢について、熱く語っていただきました。
合計訪問国数37、合計走行距離4万5000km、計2年半に及んだ自転車の旅。「ごく普通の社会人」だった彼が、どのようにして夢を現実に変えていったのか。彼の言葉は、あなたの「一歩踏み出す勇気」を呼び覚ましてくれるはずです。
|| 前回のコラム(2023年公開)
子どもたちの背中を押すつもりの挑戦が、いつしか自分の背中を押されていた…「自転車世界一周」友竹亮介さんの思いとは。
⇒https://www.mapple.co.jp/blog/23051/

|| プロフィール
友竹 亮介(ともたけ りょうすけ)
1988年、広島県生まれ。
大学卒業後、メーカーの営業職として約3年間勤務。その後、英語を学び直すため専門学校へ2年間通う。卒業後は英語教員として3年間働く。
2018年5月、中国の上海から「自転車世界一周の旅」に出発。アジア、ヨーロッパ、アフリカを走り抜け、2019年12月に南アフリカの喜望峰に到着して一時帰国。コロナ禍により挑戦が中断するなか、旅行記『二輪一会』を執筆し、2022年4月に出版。
2024年4月、アラスカのアンカレッジから挑戦を再開。南北アメリカ大陸を縦断し、2025年4月にアルゼンチン南端のウシュアイアに到着し、世界一周を達成した。
|| 公式サイト
Cycling The Earth~自転車世界一周の旅~
⇒http://cycling-the-earth.com/
|| 書籍
二輪一会~二度と出会えない人(みらいパブリッシング)
⇒https://miraipub.jp/books/18279/
執筆:稲垣 宏樹(旅行書ライター、Webライター)
Q:2018年に出発した前回の旅と、2024年に再開した今回の旅で、心境の変化はありましたか?
A:前回の旅と今回の旅では、出発時の状況がまったく違いました。今回は日本でたくさんの方に知ってもらい、応援していただけたことが本当に大きなモチベーションになりました。やめようと思ったことはなかったですが、しんどいときもあったので、そうした応援がすごく支えになりましたね。
前回と同様に、旅の記録をブログに書くことで、自分の気持ちを整理することもできました。前回のテーマは「文明と人」でしたが、今回は「自然」がテーマです。北米では特に街が少なくて、まさに「ひとつの惑星を走っている」ような感覚でした。特にアラスカやカナダでは、一本道が延々と続いていて、次の街まで400kmなんていうこともありました。寂しさもありましたが、「これが本当に望んでいた旅なんだ」と思えた瞬間でもありました。

<アラスカの針葉樹林をまっすぐに突き抜けていく>
Q:旅を再開して、年齢や体力の変化はありましたか?
A:前回の旅から5年近く空いていたんですが、アラスカでこぎ始めた初日に、対向トラックの風をパッと避ける一瞬の動作をしたとき、「あ、体が旅を覚えてる」と感じました。その瞬間にブランクへの不安が消えて、感覚が一気に戻ってきたんです。
前回は30歳、今回は36歳でのスタートでした。やっぱり年齢的に、疲労の回復が遅くなったり、翌日に残る感じがあったりして、不安もあったんです。でも、いざ走り始めてみたら、まったく衰えは感じませんでした。サドルにまたがると足が自然と動いて、「あ、まだいけるな」って思いましたね。
食事の面では、アラスカやカナダにいた頃はものすごい量を食べていましたが、アメリカ本土に入る頃には体が順応して、少ない食事でも1日100km走れるようになっていました。人間の体って、やっぱりすごいなと思いました。
Q:道中、不安なことはありませんでしたか?
A:夜はテントを張って野宿するのが基本ですが、最初の頃は野生動物が出るんじゃないかと怖くて眠れない夜もありました。実際、この旅でクマには計14回遭遇しました。でも、ほとんどがブラックベア(アメリカクロクマ)という大人しい種類で、こちらを見ると逃げていくんです。だから、不安が必要以上に大きくなることはありませんでした。
自転車旅って、自分の知識と持ち物がすべてなんです。限られたカードの中でベストを尽くす。できないことは考えず、心配もしない。そのうちに、持ち物も思考もどんどんミニマルになっていきました。トラブルが少なかったのは、自分のリスクマネジメントが上がったからだと思います。

<カナダで遭遇したブラックベア>
Q:どのあたりが想定外でしたか? また、寒さと暑さは大丈夫でしたか?
A:想定外だったのは寒さでした。アラスカからカナダにかけての序盤は、これまでにないほどの寒冷地で、夜は最低で-20℃まで下がりました。現地の方が「その装備だと不安だろう」と言って、ビビィサック(寝袋型テント)を差し入れてくださったんですが、それがなければ乗り越えられなかったと思うほどの寒さでした。
ただ、日中は体を動かしているぶん、そこまで寒さは気にならなかったです。それに乾燥した地域だったので、雪はあまりなく、路面が見えているところも多かったですね。寒さは装備や工夫である程度対策できるので、まだマシなんです。
その一方で、本当にきつかったのは暑さでした。南下してアメリカ本土のアリゾナ州に入ると、40℃を超える日が続いて、最高で47℃に達したこともありました。夜も暑くてなかなか眠れず、疲れがどんどんたまっていって……寒さよりも暑さのほうがつらかったですね。

<カナダのホワイトホースに向かう途中の深夜、空一面に現れたオーロラ>
Q:前回は予防接種の苦労が印象的でしたが、衛生面は大丈夫でしたか? また、水はどのように補給していましたか?
A:今回は、前回のように予防接種を受けることもなく、「現地で何とかなるだろう」という感覚でやっていました。アラスカでは川の水がきれいで、そのまま飲めたので、本当に助かりましたね。結果的に、衛生面で特に困ることはなかったです。
ただ、アラスカやカナダは川や湖が多いのに、寒さで水が全部凍っていて、それが大変でした。野宿のときは、湖岸の薄い氷を割ってペットボトルを沈めて水をくむんですが、その水がもう痛いほど冷たいんです。手がかじかんで、思わず焚き火で炙りたくなるような感覚でしたね。歯を磨くときでさえ、手にまとわりつく冷たさがあって、凍傷になりそうで怖かったです。

<氷点下の水で歯を磨く>
Q:前回と今回の旅で、装備に変化はありましたか?
A:本質的な違いはなかったんですが、スマホの進化は本当に大きいと感じました。今はいつでもデジタル地図が使えて、FacebookなどのSNSで世界中の人とすぐにつながれるんですよね。その分、旅のロマンが薄れて、旅がどこか簡単になったようにも感じました。
最初はそうした便利なツールを使うことに少し葛藤もあったんですが、今の世界を知るためには、あえて避けるのも違うなと思いました。あるものは素直に受け入れて、自分の裁量で上手く使えばいい。そう思うようになりました。
僕の旅のテーマは「世界を自分の目で見る」なんです。2018年に自転車旅を始めたときの世界はその瞬間にしか存在しない。だからこそ、ありのままを受け取るしかないと思っています。

<スマホがあれば情報の収集や宿の予約もできる>
Q:デジタル地図と紙の地図、それぞれが役立った場面を教えてください。
A:地図に関しては、やっぱりスマホのデジタル地図が一番便利です。現在地もすぐわかるし、旅には欠かせないツールですね。でも、どこを走って、どこに泊まったかなど、旅を振り返るときは紙の地図を使っています。
僕、地図が本当に好きなんですよ。紙の地図を眺めながら「この道を通ったな」とか「ここに泊まったな」って思い出すと、そのとき見た景色が自然と浮かんでくるんです。スマホの地図では、そういう感覚までは得られないですね。

<昭文社の『卓上版 世界全図』に今回のルートを書き込む友竹さん>